がんと向き合い生きていく

急性骨髄性白血病 65歳未満の若年者5割が治癒する

都立駒込病院名誉院長・佐々木常雄氏
都立駒込病院名誉院長・佐々木常雄氏(C)日刊ゲンダイ

 高熱と歯肉からの出血を繰り返していた会社員のYさん(35歳・男性)を近医から紹介されました。採血の結果、白血球数の増加、高度の貧血、血小板減少があり、白血球は白血病細胞で占められ、「急性骨髄性白血病」の診断でそのまま入院となりました。

 Yさんは白血病の病名を告げられ、死の恐怖に襲われました。しかし、主治医の「完治を目指して頑張ろう。私たちも一緒に頑張ります」との言葉を信じ、赤血球、血小板輸血を受けながら、清潔な空気の部屋で、大量の抗がん剤治療を受けることになりました(寛解導入療法)。

 強い口内炎と発熱を繰り返したものの、約1カ月後に「完全寛解(骨髄中白血病細胞5%以下)」となりました。まさに“いのち”の生還です。Yさんは、人生でこんな喜びは他になかったといいます。

 その後、「地固め治療」(白血病細胞を一定数まで減らしてから、再発を防ぐために投薬を継続する治療)、「維持治療」(完全寛解を維持するために、さらに抗がん剤を投薬する治療)と抗がん剤治療は続きましたが、その合間、合間には自宅に帰ることもできました。

 そして約1年半後には治療終了となり、経過観察へ。幸い予後のよいタイプと判定され、再発予防のための骨髄移植は行わないで、様子を見ることになりました。

 治療期間中は髪の毛がなくなっていましたが、それ以外は白血病発病以前と変わらず、仕事に復帰して元気に過ごすことができています。

 白血病は、骨髄で白血球がつくられる初期の段階でがん化したものをいいます。白血病細胞は、血液の中で全身を回ります。ですから、固形がんでのステージでいえば、病気が始まった時はすでにⅣ期といえる段階です。

 しかし、たとえば手術できないほど進んだ胃がんや肺がんで、「治らない」とか「余命は1年」などと告げられる場合とは大きく違います。若い患者さんでは、大変厳しい状況でも治療の先の治癒を目指して頑張ります。若年成人(65歳未満)の急性骨髄性白血病はタイプによって異なりますが、50%以上の方が「5年生存」=「治癒」するからです。

 抗がん剤を用いた化学療法で完全寛解にならない、あるいは白血病細胞の遺伝子解析から再発しやすいタイプでは、骨髄移植が検討されます。

 白血病の原因としては、放射線被曝やベンゼンの曝露などが知られていますが、多くの患者さんでは不明です。急性白血病は若い方にも見られ、主に「骨髄球性」と「リンパ球性」があります。Yさんのように、多くは高熱、貧血、出血しやすいなどの症状で発症します。

 正常な白血球は、細菌から身を守るなどの自衛隊的な役割があります。しかし、その白血球ががん化してしまうため、外敵から身を守れなくなって敗血症を起こし、それが死因となることが少なくありません。また、骨髄は白血病細胞でいっぱいになるため、赤血球や血小板がつくれなくなって高度の貧血や出血を来し、重篤な状態となります。

 治療は、赤血球、血小板輸血を行いながら、抗がん剤で白血病細胞を徹底的に死滅させ、正常細胞の回復を待ちます。その間は白血球数がほとんどゼロの日々となりますから、いつ敗血症で重篤になるかわかりません。

 数時間後でも状態が急転する可能性があるので、スタッフも緊張の連続です。

 時々、骨髄穿刺により骨髄の状態を見る検査を行います。担当医は顕微鏡で骨髄像をのぞく時、祈るような気持ちになります。白血病細胞がなくなっている時はホッとして、「あと少し頑張れば正常細胞が出てくる」と思います。逆に白血病細胞がたくさん残っていると、「あんなに頑張ってきたのに……」と愕然とします。この時は、他の抗がん剤に替えて治療のやり直しとなります。

 他のがんでも同様ですが、寛解に入った時は、患者さん、家族、そして医療スタッフの皆が「一緒に頑張ってきてよかった」と心から喜べる瞬間です。外科で難しい手術が成功した時と同じかもしれません。

佐々木常雄

佐々木常雄

東京都立駒込病院名誉院長。専門はがん化学療法・腫瘍内科学。1945年、山形県天童市生まれ。弘前大学医学部卒。青森県立中央病院から国立がんセンター(当時)を経て、75年から都立駒込病院化学療法科に勤務。08年から12年まで同院長。がん専門医として、2万人以上に抗がん剤治療を行い、2000人以上の最期をみとってきた。日本癌治療学会名誉会員、日本胃癌学会特別会員、癌と化学療法編集顧問などを務める。