がんと向き合い生きていく

がん手術の過去によって職場を追われた患者さんもいる

都立駒込病院の佐々木常雄名誉院長
都立駒込病院の佐々木常雄名誉院長(C)日刊ゲンダイ

 建設会社に勤めるSさん(53歳・男性)は、悪性リンパ腫の診断で1カ月の入院治療を行い、経過もよかったことでその後は外来治療となりました。当初は「会社のみんなに迷惑をかける」と考え、20年勤めた会社を辞めようかと考えたそうですが、上司や同僚が快く協力してくれることになり、仕事をしながら治療を続けました。

 担当医も仕事を続けることに賛成で、3週間に1回の抗がん剤の点滴は金曜日に設定しました。土日にしっかり休むことで、月曜日には元気に出勤できるように配慮したのです。その甲斐もあって3カ月でリンパ腫は消失し、10カ月で治療は完遂。今は定期検査のみで、すっかりなくなった頭髪も回復しました。Sさんは、一時は家のローンや子供の教育費などの心配を抱えていたといいますが、今は感謝の気持ちを持ちながら、以前より意欲的に仕事ができているそうです。

 7年前に乳がんの手術を受けたPさん(46歳・女性)は、その後は無治療で再発なく経過し、元気に過ごしていました。そこで、新聞の募集広告で知ったある調査会社に就職しました。入社時の健診でもまったく問題はありませんでした。

 そのまま2年ほど元気に働いたPさんは、統計処理などの仕事を任され、会社にとって貴重な存在になっていました。そんな時、乳がんの手術をした病院での定期検診で、「肺に少し気になる小さな影がある」と指摘されたのです。翌週に行ったCT検査の結果は問題ないとのことでしたが、「念のため3カ月後に再検査」となり、結局、肺の影は問題ありませんでした。

 ところが、この検査が思わぬ事態を招きました。検査で会社を休む時、Pさんは上司である課長に「実は……」と乳がんの手術をしていたことを明かしました。すると後日、部長から呼び出され、「どうして面接の時に乳がんを隠していたのか?」と、同僚のいる前で問い詰められたというのです。Pさんは会社の理解のなさに愕然とし、結局、退職されました。

 子宮頚がんの手術を受けた会社員のCさん(40歳・女性)は、外来で抗がん剤治療を受けていました。入院する際、会社には診断書を提出したのですが、会社の事務に行った時、自分の診断書がむき出しのまま無造作にデスクの上に置いてあったことがとても気になっていたといいます。

 Cさんは、上司と3人の同僚には子宮頚がんのことを話してありました。その同僚のひとりであるFさんは、前の職場で働いていた時に乳がんの手術を受けていました。ただ、Fさんは今の会社にそのことは伝えておらず、Cさんにだけ「内緒よ!」と打ち明けたのだそうです。

 ある時、そんなFさんは腰に激痛が走り、救急車で病院へ搬送されました。乳がんの骨転移でした。上司はFさんがかつて乳がんの手術を受けたことを知らなかったため、社員を集めて「誰か知っていた人は?」と尋ねたそうです。Cさんが手を挙げると、「なぜ、私に知らせなかった」と迫ったといいます。Cさんは「個人情報ですから……」と答えるのが精いっぱいでした。結局、それからお互いの信頼関係が崩れてしまい、CさんもFさんも会社を辞めることになってしまいました。患者は職場を失い、会社は貴重な人材を失ったのです。

■治療と仕事を両立できる支援体制はまだ十分ではない

 国のがん対策基本計画には、「がんになっても安心して暮らせる社会の構築」とあります。がん患者の就労については、厚労省が昨年、がんなどと闘病しながら働く患者が治療と仕事を両立できるよう支援するガイドラインを発表しました。

 しかし、それぞれの職場環境など現場にはさまざまな違いがあるうえ、個人個人のがんの種類や状態も違います。さらに個人情報の保護も重要になってきます。そうしたことから、がん患者や患ったことがある人が働くことについて、社会的にもまだまだ理解されていないのが現状なのです。

 就労について不安がある場合は、がん診療拠点病院や認定病院に設置されている相談支援センターに相談するのもひとつの方法です。会社に産業医がいる場合は、支援を受けることができます。

 一生のうち2人に1人はがんになる時代です。がんを患っても心配することなく働ける社会になって欲しいと願います。

佐々木常雄

佐々木常雄

東京都立駒込病院名誉院長。専門はがん化学療法・腫瘍内科学。1945年、山形県天童市生まれ。弘前大学医学部卒。青森県立中央病院から国立がんセンター(当時)を経て、75年から都立駒込病院化学療法科に勤務。08年から12年まで同院長。がん専門医として、2万人以上に抗がん剤治療を行い、2000人以上の最期をみとってきた。日本癌治療学会名誉会員、日本胃癌学会特別会員、癌と化学療法編集顧問などを務める。