天皇の執刀医「心臓病はここまで治せる」

心臓手術には「勇気ある撤退」を決断する場合もある

順天堂大学医学部の天野篤教授
順天堂大学医学部の天野篤教授(C)日刊ゲンダイ
いまも忘れられない女性患者の例

 これ以上、進んだら自分の技術の外側にいってしまう――。手術中にそう判断し、「勇気ある撤退」を決断する場合があります。経験も技術も積み重ねた今ではほとんどありませんが、若い頃にはそうしたケースが何度かありました。

 いまの心臓手術は、事前に「答え」がわかっていることが多いといえます。画像診断機器が進歩したことで、術前に心臓や血管の状態を把握できるので、しっかりした設計図を描くことができます。あとは、その設計図に追いつけるだけの技術が身についてさえいれば、答えに向かって一直線に進めばいいのです。

 ただ、まだ経験が浅く、診断機器も十分とはいえなかった若い頃は、何度か撤退を余儀なくされました。いまでも覚えているのは、初めて撤退を決断した60代の女性患者さんの手術です。私は30代半ばでした。

 その患者さんは心臓弁膜症で、僧帽弁に狭窄と閉鎖不全があったうえ、三尖弁の状態も悪化していました。それまでに2度の手術を受けていて、3度目となるその手術では僧帽弁を人工弁に交換するのがベストな選択です。ただ、それまでの手術によって、癒着が強い状態であることは間違いありません。さらに、その患者さんは慢性の気管支喘息も抱えていたため、麻酔も慎重に行う必要がありました。全体的に難易度が高く、覚悟して手術に臨みました。

 開胸してみると、予想通り癒着が非常に強い状態でした。慎重に癒着剥離を進めたのですが、もろくなっていた大動脈が裂けてしまい、かなりの出血を招いてしまったのです。すぐに止血と大動脈の修復を行いながら、人工心肺装置につなぎました。これで、どうにか心臓を止めながら手術を進めることができます。

 再び癒着剥離を開始しました。しかし、進めば進むほど癒着がひどくなり、ある部分からまったく進めなくなってしまったのです。さらに、その患者さんは心臓が拡大していたため、術野が非常に狭い状況でした。僧帽弁は見えるものの、なかなか手が届かない。

 これでは、僧帽弁を切り取ることはできても、人工弁を縫い付けることができるかどうかはわかりません。当時は、そうした状況に対応する手術道具が揃っていませんでした。

 なんとか僧帽弁には手が届きましたが、やはり交換は難しい状況です。これ以上、弁交換の手術を進めたら、この場で命を失いかねない、そう判断しました。

 悪化していた三尖弁はすでに処置してあり、血液の逆流は改善しています。そこで、僧帽弁の交換はストップして、狭窄している部分を再び切開する方法に変更しました。これは、弁を交換する方法よりも古い術式でしたが、そのときに自分ができる最善策でした。たとえ古い術式でも、自分の技術の内側にあって、心臓手術の“教科書”にきちんと書かれている方法を選択したのです。

 その時点で手術が理想通りいかなかったとしても、術後管理を徹底すれば改善が期待できます。看護師とともに付きっ切りで管理に力を注ぎ、リハビリを経て35日後に退院の日を迎えました。もちろん、患者さんとご家族にはきちんと行った手術の説明をして、納得していただきました。

 その患者さんは手術から4年半後、畑で農作業中に脳梗塞で倒れて亡くなったと連絡をもらいました。残されたご主人が「畑仕事に戻ることができた。手術してよかった」と話されていたことも伝え聞きました。あのときの「勇気ある撤退」は、やはり意味があったと思わされました。

 経験と技術を積み重ねてきた今では、手術から完全に撤退するケースはほとんどありません。不測の事態が起こっても可能な限り最善の処置を行い、マイルドに着地させることができます。

 ただ、自分の経験と技術に照らし合わせ、「できること」「できないこと」をしっかり把握していなければ、撤退も着地もできず「手を尽くしましたが及びませんでした」と家族に謝罪する姿が浮かぶだけになります。結果として、曖昧なまま手術を進めたことで自分の手に負えなくなり、どこかの大学病院であったような話になる可能性もあります。治療と業務上過失の分岐点はどの症例にも存在します。その境をしっかり把握できる外科医が一人前といえるでしょう。

天野篤

天野篤

1955年、埼玉県蓮田市生まれ。日本大学医学部卒業後、亀田総合病院(千葉県鴨川市)や新東京病院(千葉県松戸市)などで数多くの手術症例を重ね、02年に現職に就任。これまでに執刀した手術は6500例を超え、98%以上の成功率を収めている。12年2月、東京大学と順天堂大の合同チームで天皇陛下の冠動脈バイパス手術を執刀した。近著に「天職」(プレジデント社)、「100年を生きる 心臓との付き合い方」(講談社ビーシー)、「若さは心臓から築く 新型コロナ時代の100年人生の迎え方」(講談社ビーシー)がある。