安倍里葎子「私も介護仲間です」

娘の元気な姿を見せることも介護のひとつの形だと思う

安倍里葎子
安倍里葎子(C)日刊ゲンダイ

 6年前から自宅で母親(90)の介護を真摯に続けながら、歌手活動を両立させている安倍里葎子さん(70)は、来年デビュー50周年を迎える。

「50年という歌手の節目ですから、全国50カ所でコンサートやディナーショーを企画しています」

 前向きな発言だが、ひとりで母親を介護する心身的苦労は半端ではない。

 最初、両足が不自由な母を自宅で介護したが、体力が追い付かず、仕事に支障をきたすようになる。ひとり介護は1年で卒業してケアマネジャーの助けを借り、ショートステイを経ていまは「小規模多機能型居宅介護施設」(1割負担。本人の選択で通い、宿泊が自由な施設)を利用するようになったという。

 でも安倍さんは、できる限り自宅で生活させてあげたいと、月の3分の1は老人ホームに母親を迎えにいく。

「基本的に母親は車椅子生活です。24時間気が抜けない身の回りの世話で、私も倒れたらどうしようもありません。歌手活動も介護も、歯を食いしばって頑張っているの」

 細い体で、車椅子から母を持ち上げ、入浴させる介護は容易なことではない。

 こうなると体力が勝負である。幸い安倍さんは、健康管理のために長年、体力トレーニングを日課にしてきた。自宅の床に専用マットを敷き、腹筋(あおむけに寝て、膝を立て、腕を前や横に出す)を100回繰り返して就寝した。地方の宿泊ホテルにマットがないときは、ベッドを利用し、同じストレッチで汗を流す。

 食事にも気をつけ、できる限り塩分を抑え、魚、肉、野菜というバランスを考えた食を心がけてきた。

 午前2時ごろにベッドに入り、8時ごろに起床する。睡眠時間は平均6時間程度だという。

「毎年、健康診断を受けていますが、比較的良好でしょうか。これまで、帯状疱疹が2回、中耳炎、胃けいれんを各1回患いましたが、おかげさまで、それ以上の大病にかかったことがありません」

 母親の介護に疲れ、やり切れぬ鬱憤を晴らすために、酒の力を借りることもあった。母親を寝かせた後、うつろな目をしてテレビを見ながら、ひとりでつい深酒をしてしまう。

「でも、これじゃいけないと自分に言い聞かせ、お酒の量を減らしました。もう少し飲みたいと思ったときは、自宅を抜け出し、周囲を速足散歩するんです」

 今年8月には、歌手の橋幸夫さんたちとのディナーショーも控えており、年末までのスケジュールがほぼ埋まっている。年が明ければ、デビュー50周年。艶のあるハスキーボイスは健在だ。

「歌い続けることが、デビュー以来、どん底にいたときも私を温かく見守り、支えてくれた母親への恩返しです。勝手な言い分かもしれませんが、娘の元気な姿を母に見てもらうことも介護のひとつの形だと思うのです」 (おわり)

安倍里葎子

安倍里葎子

1948年、北海道札幌市生まれ。70年に「愛のきずな」でデビュー。83年、橋幸夫とのデュエット曲「今夜は離さない」が大ヒット。その後、桜木健一、松方弘樹らとデュエット曲を次々と発売し、デュエットの女王の異名を得る。

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