病気と共に生きていく

支えられないと立てない。触れられると激痛…夫に何度も当たった

絵、音、文字で思いを表現(提供写真)
絵、音、文字で思いを表現(提供写真)
松本彩子さん(47歳)=慢性炎症性脱髄性多発神経炎(CIDP)

 当時は知らなかったのですが、受診した脳神経内科は、現在通う千葉大学医学部付属病院脳神経内科のOB医師が設立したところ。身体検査の後、担当医が千葉大病院へ電話をかけ、「今から一人受け入れてくれ」と言っているのが聞こえました。そしてそのまま千葉大へ。

 細かい問診、テストが行われ、「すぐに入院してもらいたいが、空きベッドがないので、連絡をします」と。歩ける状況ではありませんから、父に連れられ、実家に泊まりました。就寝中、私の体が固まり、両腕を空にむけ、何かを掴むようなポーズをしていたそうです。それを見た母が別室で大声で泣いていたと、後で聞きました。

 千葉大のベッドが空くまでの1週間ちょっと、目に見えて体は動かなくなり、トイレへ立つこともできなくなりました。それだけじゃない。支えられないと立てないんですが、支えられて触られているところに激痛が走る。必死で助けてくれる夫に、「持ち方が悪い!」と何度も当たってしまいました。彼もつらかったと思います。

 千葉大病院へ入院後も、すぐに診断がついたわけではありません。1週間ほど、毎日さまざまな検査が行われました。衝撃的、かつ地獄の痛みの検査が「筋電図検査」で、体の至るところに電気針を当て、電気を流し、神経が反応をしているかを確かめるのです。

 痛みの程度は、ナイフで深くひと刺しされ、その傷口にプロボクサーから強烈なパンチを当てられている……と言ったら想像がつくでしょうか。普段泣かない私なのに、滝のように涙が流れてくるのです。モニターを見ている医師も、最初は2人だったのが、「○○先生、呼んできてくれる?」「◇◇先生、来られるかな?」という言葉が行き交い、最終的には15人ほどに増え、すし詰め状態になっていました。

「慢性炎症性脱髄性多発神経炎」という病名が告げられたのは、入院していつくらいのことだったか……。大量のステロイドを投与する治療を受け、その副作用で一気に30キロ太りました。検査、治療、リハビリと、入院生活は2カ月に。産まれたばかりの娘に対し、顔を見るくらいはできても、抱くこともミルクをあげることもできませんでした。

■慢性炎症性脱髄性多発神経炎 末梢神経に炎症が起こり、「手足の力が入りにくい」「感覚がわかりにくい」「しびれる」などをきたす病気。はっきりとした原因はわかっていない。ステロイド療法、免疫グロブリン療法、血液浄化療法が行われるが、治療後も再発と寛解を繰り返したり、慢性に進行したりすることがある。

関連記事