がんと向き合い生きていく

体験したからこそわかる 患者が繰り返す「再発の不安」

佐々木常雄氏
佐々木常雄氏(C)日刊ゲンダイ

 私がまだ医学生で臨床実習に入った頃のことです。浅い知識で病名をひたすら頭の中に詰め込み、若くして悪性リンパ腫で亡くなった患者さんのことを勉強させていただいていたちょうどその時、私自身が高熱と全身のリンパ節の腫大に見舞われ、1カ月ほど入院することになりました。

 最初は担当医から「結核性のリンパ腫大かもしれない」と診断され、ストレプトマイシンなどの抗結核剤の治療を受けていました。それまで、自分が勉強していた病院の廊下を患者としてパジャマ姿で歩いていると、たまたま郷里の大先輩である外科教授にお会いしたのです。

 教授は私の首のリンパ節に触れながら、「来週の火曜日に自分の手術予定に入れるから、生検して確定診断をつけよう」と心配そうな顔で言って下さいました。とてもありがたかったのですが、一方で教授の表情からそれまで自分で勝手に思っていた「悪性リンパ腫」という診断の不安がより増すことになりました。

 その頃から自分が死んで解剖室に運ばれていくところ、コンクリートでできている解剖室の床を歩く下駄の音、骨になって郷里のお墓へ運ばれるところなど、いろいろな場面が頭の中を駆け巡ることになります。

 幸い、生検の手術日の頃は解熱し腫瘤も小さくなってきていました。手術台に乗ったところで、教授が「おや、小さくなっている。これなら悪性ではないな。傷をつけるのはやめよう」と判断して生検手術は中止となりました。結局はウイルスの感染症だったのです。

 ところが、数カ月経っても、1年経っても、2年経っても、治癒したはずなのに、消失したリンパ節が時々また腫大してきます。そんな時は、首を動かす際に引きつれ感があって気づき、微熱も出てきます。再発したのか……今度こそ、本当に不治の悪性リンパ腫になってしまったのか……不安がよぎります。もう忘れていた、遠くに離れていったはずの「死」が、またまた急に迫ってくるのです。

■問題なく5年経過した時の解放感は本人にしか実感できない

 結局、幸いにもいつの間にかリンパ節の腫大は消えてくれました。そんなゾッとする、数年は思い出すのも嫌だった経験がありました。

 手術でがんが取り切れても、化学療法でがんが全く消失しても、多くの患者さんは再発を心配しながら過ごされます。咳が出れば「がんの転移が肺に来たか?」、背中が痛いと「骨に転移が?」、腹痛が起こると「腹の中に再発したか?」、首が腫れると「リンパ節転移かもしれない」など、そのたびに不安な気持ちになるのです。

 病院に行って、検査をして、何もないとホッとして安心します。多くの患者さんは、それを何年も繰り返されます。たとえ何も症状がなくても、定期の検査の前になると急にまた心配になるのです。

 私は患者さんに、こうお話しします。

「心配しなくてもよいと言われても心配ですよね。でも、時が解決してくれます。1年が過ぎ、2年が過ぎ、少しずつ心配は減っていきます。だんだん、がんを忘れて過ごす時間が増えていきます。再発の可能性も減っていきます。5年たったらOKですよ」

 一部のがんでは5年を過ぎても経過を見る場合がありますが、一般的には、がんが消えてから5年経過して大丈夫なら再発の危険はなくなったとして、「もう通院しなくていいですよ」と告げられます。その5年が経過して、OKと言われた時の解放感は、その患者さんにしか分からないものでしょう。

 先日、ある患者さんが私を訪ねてきました。その患者さんは、食道がんが見つかった時からすでに転移のあるステージⅣで、それでも放射線治療と化学療法でがんが消失しました。その1年後に再発しましたが、また放射線と化学療法でがんが消え、それから5年間は再発が見られず、主治医から「卒業! もう通院しなくて大丈夫」と言われたそうです。

「雲ひとつない、晴れた大草原にいる気持ちです」

 まさに晴れ晴れとした表情でした。

佐々木常雄

佐々木常雄

東京都立駒込病院名誉院長。専門はがん化学療法・腫瘍内科学。1945年、山形県天童市生まれ。弘前大学医学部卒。青森県立中央病院から国立がんセンター(当時)を経て、75年から都立駒込病院化学療法科に勤務。08年から12年まで同院長。がん専門医として、2万人以上に抗がん剤治療を行い、2000人以上の最期をみとってきた。日本癌治療学会名誉会員、日本胃癌学会特別会員、癌と化学療法編集顧問などを務める。

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