同じ「死」でも、若い人と老人では悲しみや無念さが違います。若い患者さんの死は、これからたくさんの人生が残っていたはずです。なんとか生きたい。周りの人も医療者も、なんとしても生かしたい。
白血病で亡くなった17歳の女子高校生・M子さんの最後の日記です。
――これが私の出す最後の手紙であるかもしれないのに本当に何を書いたらいいのか分からない。
今生の別れの言葉は何がいいのか思いつきやしない。
私はもう一度生きたい。病気を克服してもう一度生きたかった。
ありがとう。
私のために泣き、苦しみ、疲れ、身をささげんとしてくれた人たちへ。
人間は誰かの役に立ちたい、救ってあげたい、又、誰かの何かのために死にたいと理想を持つ。
自分の生が死が意味あるものでありたいと思う。
少なくとも私にとってあなたがたの生は意味あるものであるだけではなく、無くてはならないものとして存在している。
あなたがたは、勇気ある強い人間だ。あなたは人を救ったんだという満足感と自信に満ちあふれて生きていって欲しい。あなたは私にとってなくてはならない人です。
そう思って、あなたに心から感謝と尊敬をしている人がいることを忘れないで欲しい。
M子さんは、最初は「病気を克服してもう一度生きたかった」と言い、そして「ありがとう」とお礼を述べ、最後は「あなたがたは、勇気ある強い人間だ。あなたは人を救ったんだという満足感と自信に満ちあふれて生きていって欲しい」と、残される人を力づけるメッセージを書いています。自分の死が目の前に迫っていても、人を勇気づける、人を思いやる心があるのです。
M子さんの葬儀では、「出席してくれたお友達の皆様へ」と、家族から次のような文が渡されました。
――○月○日夜に私たち両親家族の許に帰ってまいりましたので温かく迎えました。
……毎日毎日毎日力むことなく素直に、かつ冷静に失意と絶望の中でその恐怖と闘ってまいりました。
“よく頑張ったね”と心から褒めてやっています。
今日の寝顔は本当に素晴らしいです。
悲しいのですが、M子は私たち家族の誇りです。
M子はみんなのものになりました。
これからもいつもいっしょにいてあげて下さい。
お願いします。
そういう想いに支えられてきっとM子は生き続けます。
そして、私たちは日曜日を“M子の日”と決めました。
死者は両親、家族、友達の中で生き続けます。残された人は、残された親は「心の中で生きている。一緒に生きている」と自分を納得させ、無理やりかもしれませんが、そう心に決めて生きるのです。そうしないと生きていけないかもしれないのです。
いとうせいこうさんは、「想像ラジオ」(東日本大震災で亡くなった人たちの声を集めた小説)の中で、「死者を思うことで、私たちは死者に心を支えてもらっている」と書いています。
私の親戚で、若くして子に死なれた母親がいます。信仰はしていないのですが、その時以来、毎日毎日、小さな食膳をつくり仏壇にささげます。仏壇の前に正座して子に話しかけます。その時はきっと子に会えているのだと思います。母親にとって仏壇は、命と同じく大切なものなのです。母親は「きっと、きっと天国では子に会える」と期待しています。
私は「死後の世界なんて存在しない。心は残っても、すべてなくなってしまう。それで仕方ない」と思っています。しかし、若くして子に死なれた親には、わが子との再会を果たすために、死後の世界は、どうしてもなくてはならないのだとも思うのです。
がんと向き合い生きていく