正社員で働く発達障害の人々

優先順位をつけるのが苦手 仕事が並行すると処理が困難に

福田晃平さん
福田晃平さん(提供写真)

 29歳のときに発達障害と診断された福田晃平さん。子供のころは友達はすぐにできる方だった。

「運動も好きで、体育の時間は楽しかったですし、水泳も習っていました。けれど、サッカーやバスケなどのチームプレーになると、個人プレーに走りがち。試合中、何をやっていいか分からなくなってしまうのです」

 授業でも説明が抽象的だと理解に時間がかかった。小学校3、4年ごろから、体育の団体行動や学習などで「なんで周りのみんなはできるのに僕はできないんだろう」と思うことが増えていった。その一方で、父親によく連れていってもらったスキーは得意だった。ボーイスカウトの活動では集団生活の楽しさを学べていたという。

「ボーイスカウトでは、年代の違う学校の子供と仲良くなれますし、子供ながらに社会性を学ぶいい経験になりました」

 高校時代、将来は保育士になりたいと思った。しかし、保育士の大変さを周囲から話され進路を変えた。大学は経済学部に進むことに。在学中は友人とバンドを組んで活動した。その大学では、単位の計算がうまくできず、1年留年して卒業した。

「卒業後は、教育関係の財団法人に就職しました。発達障害も含む子供を対象にしたキャンプの開催が主な仕事です。子供が好きだったし、自分もボーイスカウトなどの学校外の活動がいい経験になった思い出があるので、やってみたいと思ったんです」

■外国の方が暮らしやすい面が多かった

 ところが、肝心の仕事や人間関係がうまくいかない。特に仕事の優先順位をつけるのが苦手で、複数の仕事が並行すると処理するのが困難になった。ミーティングで話した内容も、自分の中で整理してまとめることができなかったという。

「結局2年勤めたものの、うつ病を発症して退職することに。しばらく休んで、うつが回復してから次に何をするか決めようと考えたのですが、いっそのこと外国に行ってみようと決意したのです」

 英語も話せるようになりたいし、自分の選択肢も広げたい。福田さんはオーストラリアでのワーキングホリデーにチャレンジ。現地では日本料理店の電話の受け付けや大工仕事などをしながら、休日にはサーフィンも楽しんだ。英語も上達し、生き生きと毎日を過ごしたという。

「帰国してから、よく『英語もできる優秀な人が、なんで仕事ができないの』と言われました。でも、外国では、こちらがあまり言葉ができないこと、理解に時間がかかることを前提に話してくれる。ところが日本では、一度言ったらすべて分かっていることが前提で、話が進んでしまう。私にとっては、日本より外国の方が暮らしやすい面も多かったんです」

 実際、福田さんはワーキングホリデーから帰国して再就職すると、再び仕事上の困難にぶつかってしまう。営業の仕事をするも退職することになった福田さんは、クリニックで発達障害という診断を受けることになった。

(つづく)

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