病の克服は患者に聞け

新型コロナ<後編>本当にギリギリの状態だったんだろうと…

中田仁之さん 
中田仁之さん (提供写真)

 アスリートのセカンドキャリアをサポートする一般社団法人S.E.A「日本営業大学」の代表理事を務める中田仁之さん(50歳)は、同法人の開校式直前に新型コロナウイルスの感染が判明。隔離入院していた病院から、昏睡状態のままコロナ患者を受け入れている病院の集中治療室(ICU)に移された。

 幸いなことに重篤な肺炎の症状は出なかったが、40度近い高熱に加えて血中酸素濃度(正常値99~96%)が98%から90%に低下して昏睡。命の危機があったことから、4月6日から16日までICUでの治療が続いた。その間、中田さんは何度も不思議な体験をした。

「担当医から『会いたい人に会っておいてください』と言われ、外泊の許可が出たんです。そこで、家族に会いに行こうと病院からタクシーに乗り、自宅に向かいました。でも、高速道路を走っている最中に『いや、待てよ。まだうつしてしまうかもしれないのに、このまま家に帰ったら家族に叱られる』と思い直し、病院に引き返しました。もちろん、すべて妄想です。もしあのまま帰っていたら、この世に戻れなかったかもしれません」

■どっちに転んでもおかしくない…

 ある日、中田さんの仕事仲間たちが見舞いにやってきた。仲間の声がICUの外から聞こえたため、中田さんは「あいさつだけでもさせてほしい」と看護師に頼んだが、あっさり断られて肩を落とした。しかし、そもそも仲間が見舞いに来た事実はなく、看護師とのやりとりも一切なかったという。

「麻酔による妄想や幻覚だったのかもしれませんが、医師からも『生きるか死ぬかどちらに転んでもおかしくなかった』と言われたように、本当にギリギリの状態だったんだろうと思います」

 治療のおかげもあって発熱と血中酸素濃度が落ち着き、意識も回復したことから、4月16日には人工呼吸器が外された。

 翌17日には喉につながれていた管が抜かれ、18日は一般病棟に移ることになった。

「ICUに入る時から家族の同意を得て点滴で抗インフルエンザ薬の『アビガン』が投与されていました。管が外れた17日からは錠剤の服用が始まり、退院する20日まで続きました。朝晩4錠ずつを服用するたび、看護師さんがきちんと飲んだかどうかを確認しに来るので、口を大きく開けて中まで見せなければいけません。それくらい徹底していました」

 一般病棟に移った18日に治療後1回目のPCR検査が実施され、19日に陰性と判明。同日に行われた2回目のPCR検査も陰性で、20日の夕方には退院の許可が下りた。

 自宅に戻り、体重計に乗ると8キロ減っていた。体力の衰えが激しく、階段を下りようとするとバランスを崩して落下しそうになった。退院後のリハビリについてはとくに指導はなかったという。

「退院してから4週間は外出を控え、週1回、保健所から電話があって体調を確認されました。朝晩体温を測って36度台の平熱が続いていたので、体力を戻すために朝の散歩を始めました。最初は20分も歩くとヘトヘトだったのですが、いまは1時間でも問題ありません。また、毎日1分間、計3セットの体幹トレーニングも続けています」

 退院後は、新型コロナをなめていた自分を反省し、生活をあらためた。

「免疫力を下げてしまう可能性があるというので、大好きだったお酒を控えています。以前は毎日のようにビールから始まってハイボールを5、6杯は飲んでいましたが、いまはほとんど飲んでいません」

 4月6日に予定されていた「日本営業大学」の開校式は、退院後の5月6日にWeb会議システムを使って無事に開催された。

「自分はこの事業をやるために回復したのだと思い、さらに覚悟が決まりました」

(おわり)

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