ビートルズの食生活から学ぶ健康

メンバーはリラックスし副交感神経優位の状態になっていた

1968年、彼らはヨガの聖地インド・リシケシュを訪れた
1968年、彼らはヨガの聖地インド・リシケシュを訪れた(C)ゲッティ=共同

 日本で1969年に発売された「ザ・ビートルズ」というアルバムがあります。ジャケットが真っ白だったことから通称「ホワイト・アルバム」と呼ばれ、ビートルズのオリジナルアルバムとしては異例の2枚組になっていて、30曲も収録されていたことから、10代だった私のお気に入りのレコードでした。

 映画「ヘルプ!」の撮影中にシタールに興味を抱き、そこからインドへの関心を強めていったジョージは、インド人マハリシ・マヘーシュ・ヨーギーが創立した「トランセンデンタル・メディテーション(超越瞑想)」に向かうことで自らの「心の解放」を目指します。

 1968年、ビートルズの4人はマハリシから瞑想を正式に学ぶ目的で、それぞれのパートナーを伴い、ヒマラヤの麓にある「ヨガの聖地」、インド北部のリシケシュという都市に赴きます。

 ジョージはヒンズー教の教えに基づき菜食主義者になり、ジョンもポールもリンゴも、インド滞在期間は菜食で過ごしています。

 リンゴだけはタマネギやニンニクのほか、スパイスなどの刺激物を全く受けつけない体質だったので、インド料理が口に合わず、缶詰のベイクドビーンズをスーツケースにいっぱい持ち込み、それを食べました。

 4人とも朝食後の瞑想やマハリシの講義に参加、この時の様子は、写真集「The Beatles in Rishikesh」(ポール・サルツマン著、Avery刊)に収められていますが、その中に、ギターを持ったジョンと歌っているポールの横顔をとらえた写真があります。

 この時のジョンは黒目の部分がふだんよりも大きく感じられ、とても穏やかな表情をしています。ほかの写真では認められない表情で、インドにおいてリラックスした状態になっているため副交感神経が優位となり、瞳孔がやや散大傾向にあったと考えられます。

 ポールもまた同様の傾向が見られるので、恐らく2人は瞑想することによって、一時的にせよ、リラックス状態に入れたのだと想像されます。

 インドで作られた30以上もの曲は、インドから帰った後に、ジョージの家でデモテープが作られ、現在では「イーシャー・デモ」として公式に発表されて聴くことができるようになりました。

ゲット・バック・ネイキッド―1969年、ビートルズが揺れた22日間―」(藤本国彦著、青土社刊、2020年)の中に、マハリシの下での修行に対し、「気持ちを落ち着かせるためのバカンスとでも呼べばいいんじゃないかな」といったジョンの言葉が残されています。

 彼らは1962年のデビュー以来、1カ月以上に及ぶ休暇はもちろんのこと、何も刺激のない所で過ごすことはありませんでした。

 この2枚組の大作アルバム「ザ・ビートルズ」のジャケットデザインは、「無」を象徴する真っ白な地に小さく「The BEATLES」と印刷(刻印)されているだけです。

 恐らく「瞑想から生まれた」ともいえるこのアルバムは、現在、世界で大きな広がりを見せている「マインドフルネス」という概念と通底しているように思えます。

 安全にリラックスモードに入れるものならば、どのようなスタイルの瞑想にせよ、副交感神経が優位になりやすくなります。

 現在のようなコロナ禍で不安とストレスが蔓延している社会では、こうした瞑想で心を平穏に保つことも必要なのかもしれません。

松生恒夫

松生恒夫

昭和30(1955)年、東京都出身。松生クリニック院長、医学博士。東京慈恵会医科大学卒。日本消化器内視鏡学会専門医・指導医。地中海式食生活、漢方療法、音楽療法などを診療に取り入れ、治療効果を上げている。近刊「ビートルズの食卓」(グスコー出版)のほか「『腸寿』で老いを防ぐ」(平凡社)、「寿命をのばしたかったら『便秘』を改善しなさい!」(海竜社)など著書多数。

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