人生に勝つ性教育講座

正室2人側室16人以上 徳川家康はなぜ未亡人ばかり相手にしたのか

岡崎城の徳川家康像
岡崎城の徳川家康像

 子供の頃から努力をしてせっかく世に出ることができてもセックスで失敗して人生を棒に振る人はなんど多いことか。

 最近でもオシドリ夫婦で知られていた有名俳優の夫婦が旦那さんの不倫で離婚、芸能活動の自粛に追い込まれました。有名女優と結婚した、お笑い芸人さんも“トイレ不倫”で芸人人生を棒に振りました。東京五輪の有力メダル候補のアスリートも不倫で世間を賑わせました。世界一のお金持ちと言われたビル・ゲイツ氏の離婚の原因も不適切な性的な関係と関りがあると言われています。

 不倫はたまたまばれていないだけで誰でもしているよ。いや、どんな仲の良いカップルでも動物である以上、5年も一緒にいればセックスレスになり、新たなパートナーを作るものだ……などと言う人も少なくありません。

 それが本当だとしても、安全で幸福な暮らしを実現するために長い年月かけて作り上げてきた今の社会システムの中で暮らす私たちは、社会を壊しかねない不倫を認めるわけにはいきません。ルールを破れば社会的制裁を受けるのは当然で、それは人生の負け組に転落することにもなりかねないのです。

 ですから、私たちは男性も女性も「性」についてもっと知らなければいけません。それは男と女の違いはもちろん、性欲とは何か、それをコントロールするにはどうしたらよいのか? などを含めて正しい性教育を学ばなければ人生で勝ち残ることはできません。私たちは100年生きる時代を生きています。勢いだけで駆け抜けて、あとは関係ない、というわけにはいかないのです。

 そこで本連載では、性感染症の防止はもちろん、避妊や妊娠、女性の生理など、日本人が恥ずかしくてこれまで話をしてこなかった問題について、歴史上の人物などを交えながらお話を進めていこうと思います。なお、私の専門外のことについては専門の先生方にお話をうかがい、皆さんにお伝えしていくつもりです。

■家康は加藤清正の死にショックを受けた?

 最初に取り上げるのは戦国時代の覇者、徳川家康の“下半身防護術”です。ご存じの通り、三河の国・岡崎城主の長男として生まれて6歳~18歳まで織田家、今川家の人質として育った徳川家康は、関ヶ原の戦いで勝利して天下取りに成功。江戸幕府の開祖となりました。その家康は生涯2人の正室を持ち、16人以上の側室を抱えたそうですが、その多くは未亡人でした。理由は、加藤清正や浅野幸長ら同じ時代に生きた有力な戦国武将の多くが「梅毒」で亡くなったからといわれています。

 映画や小説では加藤清正は徳川方の忍びによって毒殺されたと言われていますが、その時代の真言宗の高僧の日記では清正の最後は「身もこかれくろくなられける」と書かれています。今でいう劇症肝炎などによる急性黄疸ではないでしょうか。これは梅毒の特徴のひとつです。また、「当代記」には浅野幸長が梅毒で亡くなったとの記述があり、清正も「ひとへに好色の故、虚の病」と書かれています。

 むろん、当時は梅毒についてはほとんどわかっていません。ただ、家康は加藤や浅野が遊女と交わっていたことを知っていたため、遊女と遊ぶのは危険だと考えていたようです。あえて未亡人を選んだのは、子供を生んだ経験のある女性となら、子孫を残せるとの思いがあったからでしょう。

 人生の勝者は、自身の身を護り、子供を成し、家族を作り護っていくためにただ欲望のままに行動するのでなく、性病についても深い関心を持ち、防御策を講じることが大切なのです。

尾上泰彦

尾上泰彦

性感染症専門医療機関「プライベートケアクリニック東京」院長。日大医学部卒。医学博士。日本性感染症学会(功労会員)、(財)性の健康医学財団(代議員)、厚生労働省エイズ対策研究事業「性感染症患者のHIV感染と行動のモニタリングに関する研究」共同研究者、川崎STI研究会代表世話人などを務め、日本の性感染症予防・治療を牽引している。著書も多く、近著に「性感染症 プライベートゾーンの怖い医学」(角川新書)がある。

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