独白 愉快な“病人”たち

肺がんで余命宣告され…俳優・御木裕さんが克服までを語る「目が覚めたら医者が3人深刻な顔を」

御木裕さん
御木裕さん(C)日刊ゲンダイ
御木裕さん(俳優・61歳)=小細胞肺がん

 撮影現場でひどい腹痛に襲われて、スタッフが買ってきた市販の胃薬を飲んだら、一気に状態が悪化した。たぶん倒れたんだろうな。気付いたら病院だった。腹にヌルヌルしたものを塗られて検査されていたんだ。

 さらに「造影剤を入れて検査をするのでサインしてください」って言われたから、「なんで?」とたずねると、「腹痛とかのレベルじゃないです」と言う。「なんでもいいけど、眠たいから麻酔してくれ」ってお願いした後、目が覚めたら医者が3人、僕の肺の写真を見ながら深刻な顔をしていた。見ると、肺にこぶし大の白い影が写っていたから「これは大ごとだな」と思った。それが2017年11月だった。

 病名は「小細胞肺がん」という肺がんの一種。進行が速くて転移しやすいがんらしい。「すぐ入院です」と言うから、「いや、まだ撮影が3つあるから」と立ち上がると、3人の医者が「あなたが今、立っていることがわれわれの常識では信じられない」と。しかも「手術になるのか」と聞いたら、「手術はできません」と言うんだ。がん細胞が動脈や静脈に絡まっているからどんな名医でも手術はできない状態で、「ステージ4」「余命1カ月(何もしなければ)」「治療は化学療法」「根治はしない」と告げられた。

 3日間だけ猶予をもらって、その間に撮影を1つ済ませ、後は祈祷師のところに連れて行かれたりした。こう見えてPL教団創始者の孫だから、僕の周りは僧侶や宗教家だらけ。いざ入院となったときは、病院のカンファレンスルームにPL関係や弟の人道教団の連中が30人ぐらい集まって、僕に抗がん剤を「打たせる」vs「打たせない」で大ゲンカ。主治医にまで「自分の家族にも同じ状況で抗がん剤を使うのか!」と突っかかっていた。言われた主治医も、負けじと「使いますよ! 根治はしないけど、僕は責任をもって御木さんの寿命を延ばしたいんだ!」と言い切った。僕はそれを見て「カッコいいなコイツ」と思って、任せることにしたんだ。

 後日、腹部に転移も見つかって、治療は抗がん剤と放射線を並行して行った。抗がん剤は「シスプラチン」など3種類。それを5クール続けた。一時は“ツルッパゲ”になったけど、副作用でつらかったことはひとつもなくて、嘔吐も一度もなかった。その病院には放射線設備がなかったので、毎回タクシーで設備のある別の病院を往復しながら5カ月間ほど入院したかな。

 その間、病室では教団関係者が毎日のように来ては祈っているし、全国からお見舞いの人が次々やって来るし、空手道場の若い子たちは「生きててよかった」と泣いてくれたりしていた。主治医は「御木さんの病室は濃くて奇々怪々ですね」と笑っていたな。

■主治医の言う通りの治療をしただけ

 思えば、自分よりも周りがアタフタしていた。自分はまるで死ぬ気がしなかったから割と平常心だった。でも何かあって周りに迷惑をかけちゃいけないから、余命宣告されてすぐに白金(港区)にある家やマンションを処分して、寄進させていただいた。弟には「葬儀だけは小さくやってくれ」と伝えてね。そこまで準備したのに、どんどんよくなっていくから周りは不思議がっていたよ。

 5回目の抗がん剤治療が終わった頃にはずいぶん元気になっていたので治療は終了。余命宣告をした主治医も事情があって病院を離れることになった。その去り際に、「祈りってあるんですかね」とつぶやいていたことが今でも印象に残っているよ。

 いろいろな高額医療を勧めてくれる人もいたけれど、大金をかけて治そうとはまったく思わなかった。だから僕は主治医の言う通りの治療をしただけ。周りがいろいろ言う中で僕がそれを選んだのは、昔から「医者と僧侶は大事にしろ」と言われてきたから。それだけは守ろうと思ったまでのことだよ。

 ただ一つ勧められた、はなびら茸のサプリメントは唯一、治療中から飲んだし、今も継続している。もちろん主治医も成分を調べてOKを出してくれた。なぜそれだけ受け入れたかというと、値段が1カ月分3万円ぐらいで手頃だったのと、そのはなびら茸を作っている人物の志に共感したから。そして実際、僕が元気になったのはこれのおかげもあると思えた。宣伝するつもりはないけれど、今後は広めたいとも考えている。僕は命をいただいたから、人を救いたいと思っているんだ。

 僕は酒もたばこもやめていない。良くないと言われるけど、今何も問題ない。多くの知り合いが、がんになって酒やたばこをやめたけど、結局は余命より早くあの世に持っていかれるのを見てきたからね。医者の言うことはだいたい従うけど、酒とたばこはやめないと決めていたんだ。

 ただ安心できないのは、体重が元に戻らないこと。倒れるまでの1年で30キロぐらい痩せて、それからあまり太れない。今やっと55キロ前後まで戻ってきたけど、本当は70キロぐらいはほしい。これでも昔はムキムキだったんだから(笑い)。

(聞き手=松永詠美子)

▽御木裕(みき・ひろし) 1960年、大阪出身。PL教団創始者の一族として生まれ、近畿大学在学中に石原慎太郎と出会い、1980年にドラマ「西部警察」の刑事役で俳優デビュー。「あぶない刑事」など人気ドラマに出演するが、1996年に芸能界を引退し、実業家となる。2006年にVシネマで復帰し、現在はアキヤマ・オフィス所属。

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