上皇の執刀医「心臓病はここまで治せる」

療養中に下肢でつくられた血栓が動脈に詰まり手術で取り除くケースも

天野篤氏
天野篤氏(C)日刊ゲンダイ

 病気やケガで入院や自宅での療養が続き体を動かす時間が減ると、足の静脈に血栓ができる「深部静脈血栓症」と、その血栓が血流に乗って心臓まで移動して肺の動脈に詰まる「肺血栓塞栓症」を起こす危険があります。そのまま重症化するとショック状態になって死亡するリスクが高い疾患で、「エコノミークラス症候群」とも呼ばれます。

 とりわけ、足の骨折をはじめ、股関節や膝関節の整形外科手術を受けた場合、術後は足が動かないように固定するため、下肢で血栓が生じやすくなります。心臓から全身に送り出される血液は約70%が重力によって下半身に集まり、下半身にたまった血液はふくらはぎの筋肉が収縮してポンプのように働くことにより、静脈から心臓に戻されます。療養中にふくらはぎの動きが少なくなると、血液は下肢の静脈にたまったままになってうっ滞し、血栓ができやすくなるのです。

 足や股関節といった整形外科手術に限らず、がんなどの内臓疾患で外科手術を受けるなどして長期の入院や安静・療養で活動量が減ると、血栓ができやすくなります。水分摂取が制限されるうえに点滴の量も少ないなど、脱水の傾向が強くなっている場合はなおさらリスクはアップします。

 そのため、近年は手術後の肺血栓塞栓症の予防措置として、「フロートロン」という医療機器を使って管理するケースが増えています。患者さんの足にサポーターを巻いて30分ごとに空気圧で圧迫し、静脈の血行を促進して血栓がつくられにくくするのです。

 また、以前に脳・心臓の血管に血栓が詰まる脳梗塞・心筋梗塞の既往がある、血液をサラサラにする抗血小板薬や抗凝固薬を飲んでいる、狭窄した動脈を広げるためにステント(金属製の筒状の網)を血管内に留置している、といった血栓が生じるリスクが高い人たちでは、血液を固まりにくくするヘパリンという薬を点滴で投与する予防措置が行われます。

 さらに、手術後はできる限り早い時期にベッドから起き上がり、リハビリなどの活動を始める「早期離床」を推奨する施設も増えています。

 せっかく手術を受けて病気を治療したのに、入院や療養中に肺血栓塞栓症を起こして命を失うようなことになれば本末転倒です。ですから、医療機関では血栓形成を防ぐために、さまざまな方策が実施されているのです。

■腹部手術後の肺血栓塞栓症に対し手術で血栓を除去

 しかし、それでも手術後の患者さんに血栓ができて肺血栓塞栓症を起こしてしまう“事故”があるのも事実です。その場合、血栓を溶かす薬を投与する抗血栓療法と同時に全身の循環を維持する処置が実施されます。これで改善しないときは、外科手術で血栓を取り除く治療が行われます。心臓のポンプ機能と肺のガス交換機能の役割を代行する人工心肺装置を使って体外で循環を維持しながら肺動脈を開き、血管内に詰まっている血栓を取り除くのです。

 外科手術が必要になるくらい状況が悪化している場合、おおむね血管が太い部分に大きな血栓がドーンと詰まっているケースがほとんどです。そのため、まずはその部分の血栓を除去すれば改善することが多いといえます。

 ただ、それだけでは下半身にできているものも含めてすべての血栓を取り除けたわけではありません。そこで、心臓の手前にあって下半身の静脈血を集め右心房に流れ込んでいる下大静脈にカテーテルを用いてフィルターを設置する処置を行います。血流に乗って心臓に戻ってくる血栓をすべてフィルターに引っ掛けておいて、ある程度時間がたってからフィルターを回収するのです。

 術後にそこまで状態が悪い肺血栓塞栓症を起こすような患者さんは数年に1人か2人くらいですが、だからといって注意を怠るわけにはいきません。実際、かつてある著名人の家族がまさに同じ状態でほかの病院から運ばれてきて、手術で命を救ったケースがありました。動脈に血栓が詰まってショック状態になると、血液を全身に送っている心臓の左側が圧迫されるため、しっかり回復するまで時間がかかりますが、無事に退院することができました。

 また最近も、腹部の外科手術を受けて術後に肺血栓塞栓症を起こした患者さんの外科手術を行って血栓を除去しました。今回はそこまで悪い状態ではありませんでしたが、こちらもしっかり回復しています。

 長期の入院や安静・療養による血栓の形成と肺血栓塞栓症に見舞われないためには、まずは足の大腿骨といった太い骨の骨折には注意して回避するのが何より大切です。

 ただ、冒頭でも触れましたが、足などの整形外科手術だけでなく、がんや内臓疾患での大きな手術はそれだけで血栓ができて肺血栓塞栓症を起こすリスクがあります。注意すべきポイントなどについて次回さらに詳しくお話しします。

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天野篤

天野篤

1955年、埼玉県蓮田市生まれ。日本大学医学部卒業後、亀田総合病院(千葉県鴨川市)や新東京病院(千葉県松戸市)などで数多くの手術症例を重ね、02年に現職に就任。これまでに執刀した手術は6500例を超え、98%以上の成功率を収めている。12年2月、東京大学と順天堂大の合同チームで天皇陛下の冠動脈バイパス手術を執刀した。近著に「天職」(プレジデント社)、「100年を生きる 心臓との付き合い方」(講談社ビーシー)、「若さは心臓から築く 新型コロナ時代の100年人生の迎え方」(講談社ビーシー)がある。

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