がんと向き合い生きていく

暑い夏になると高校時代の熱血先生を思い出す やかんを手に巡回

佐々木常雄氏
佐々木常雄氏(C)日刊ゲンダイ

 暑い暑い日が続いています。そんな夏の日の思い出話です。

 高校3年生の夏休み、私は毎日、自転車で学校に通いました。到着する頃は汗びっしょりです。

 学校では、窓を開けて風通しのよい廊下に机が1列に並べてあります。そこに座って、数時間、勉強をしました。家にクーラーなどない時代で、自宅でひとりの勉強では、だらだらしてしまうからです。また、周りに同じく受験生がいると、励みになって、我慢して勉強ができました。

 それ以上に、やる気を出させてくれたのが、英語担当の松木清先生です。先生は氷水の入ったやかんを持って巡回し、コップに水を入れて「飲め!」と言って、渡してくれるのです。冷たい氷水と、先生がそばにくることでシャキッとします。そして「分からないことがあったら聞け」と言ってくれました。

 暑い夏になると、この時の先生が思い出されるのです。

 山形東高校の同窓会がある時は、この名物教頭だった松木先生が必ず話題になります。高校受験の合格発表があってすぐ、入学前に全員が高校に呼び出され、皆に英語の小冊子が渡されました。50ページほどの、確か「ロビンソン・クルーソー」だったと思います。

 松木先生は、怖い顔で「この本を読んでくるように。入学式の翌週にこの中から試験を行います」と告げました。入学式までの日々がもったいないと言われるのです。受験から解放され、遊びたかった私は愕然として帰宅しました。

 入学式が終わって、松木先生の英語の授業が始まりました。

「口が回らないではないか!」

「大切な文は書き残すから、黒板に書いたものをノートに書き写すのは休み時間にしろ」

 今であれば、生徒から訴えられかねないような怒声が隣の教室まで響きます。怖くて、数日、学校を休んだ生徒もいたようでした。松木先生の授業で、その直前の休み時間から緊張したのは、私だけではなかったはずです。

 松木先生は授業中にだんだん感極まってくると、歌い出します。

「時計の針の絶え間なく、めぐるがごとく励みなば、……いかなるわざがならざらん……」

 そしてよく話す、口癖のような言葉があります。

「実践です。プラグマティズムです」

 まさに熱血先生です。

■受験票を神棚に積んで合格祈願

 この怖い怖い授業なのに、ある時、授業が始まる前、生徒が教室の入り口の引き戸の上にチョークまみれの黒板消しを挟みました。先生が引き戸を開けて入ると、黒板消しが先生の頭に落ちてくる仕掛けです。固唾をのんで見守っていると、黒板消しは頭に落ちず、松木先生の目の前に落ちました。その瞬間、松木先生は黒板消しを足で蹴り、先生用の椅子も蹴り飛ばしてから授業が始まりました。

 採点された答案用紙が渡される時もとても怖く、結果が悪いと「スコンク!」(完敗の意)という大きな声が隣の教室にまで響きます。

 大学受験の直前になると、先生は職員室の前で神棚に受験票を山のように積んで、合格祈願をしてくれました。私が合格したことを職員室で告げると、松木先生は「よくやった、よくやった」と喜んでくれました。

 松木先生は、私たちが卒業後、数年たってある高校の校長に栄転されました。後日、全校生徒の前で行った、その時のご挨拶を録音したテープを聞きました。

「長年、勤めさせていただいたこの東高を去ることになりました……寂寥感に堪えません。ここで、おまえたちに言っておかなければならないことは、おまえたちの実行力、プラグマティズム、これが欠けていることです。これは、寝ても覚めても私の頭から離れません……。それでは行ってまいります」

 山形東高校では遠方への修学旅行はなく、1年に1回、近場の遠足がありました。その年は、生徒の希望で松木先生が校長に赴任した高校が目的地となったそうです。その遠足で、松木先生はお菓子の袋をたくさん用意して待っていた……そう、人づてに聞きました。

佐々木常雄

佐々木常雄

東京都立駒込病院名誉院長。専門はがん化学療法・腫瘍内科学。1945年、山形県天童市生まれ。弘前大学医学部卒。青森県立中央病院から国立がんセンター(当時)を経て、75年から都立駒込病院化学療法科に勤務。08年から12年まで同院長。がん専門医として、2万人以上に抗がん剤治療を行い、2000人以上の最期をみとってきた。日本癌治療学会名誉会員、日本胃癌学会特別会員、癌と化学療法編集顧問などを務める。

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