がんと向き合い生きていく

前立腺がんの治療後、下腹部に不快感が出ると心配になる

佐々木常雄氏
佐々木常雄氏(C)日刊ゲンダイ

 Aさん(65歳・男性)は、5年前、人間ドックでの採血の結果PSA値が高く、某がん拠点病院泌尿器科を紹介され、生検で「前立腺がん」と診断されました。

 がんは限局していて中リスクに分類され、「手術で前立腺を全摘」するか、「放射線治療」をするか、どちらかの選択を勧められました。

 担当医からは、どちらの選択でも予後は変わらない、両治療法のメリットとデメリットなどの説明を受け、Aさんは考えました。結局、手術でのリスク、親からいただいた体にメスを入れたくない思いもあって、放射線治療を選びました。ちょうどその頃、親しかった友人が、胃がんで手術の1週間後に亡くなった知らせが届いたことが、Aさんの選択に影響したかもしれません。

 その後、外来通院で放射線治療が行われ、約1カ月半、特につらいことなく無事に治療は終了し、PSA値は正常値まで低下しました。

 Aさんは、心配性の性格もあってか(自分でもそう思っている)、昼は奥さん相手に冗談を繰り返していますが、夜に部屋でひとりになると、頻尿や下腹部不快感が出てきて、そんな時はがんが悪くなっているのではないかと気になりました。

 それでも、放射線治療後の定期検査ではがんの再発はなく経過しました。

■血便があって検査を受けたときも…

 3年たった頃、便に血が混じることがあり、消化器内科を受診すると内視鏡検査を受けることになりました。Aさんは、「今度は直腸がんになってしまった。自分はどうして不幸が重なるのか」と奥さんに話しました。

 すると奥さんから「まだ、直腸がんと決まったわけでもないのに。でも、もしそうだとしても、しっかり治療して、元気になってもらわないと。今から心配し過ぎても仕方がないじゃない。お父さんは度胸がないんだから」とハッパをかけられました。

 内視鏡検査の結果は、血便の原因はがんではなく、放射線治療による直腸炎との診断でした。消化器内科で貧血を改善するための鉄剤などが処方され、次第に血便は落ち着き、Aさんも奥さんもホッとしました。

 最近、Aさんの口癖になっているひとりごとは、島崎藤村の「千曲川旅情の歌」の一節です。

「この命なにを齷齪、明日をのみ思ひわずらふ」

 検査も治療もしっかり行われ、前立腺がんは再発していない。担当医も大丈夫と言っているし、直腸がんではなかった。大丈夫だ。それなのに、自分は何が心配、何が不満なのだ。そう自分に言い聞かせ、納得したつもりでいても、昼は症状がないのに、夜に下腹部の不快を感じると心配になるAさんでした。

 奥さんは、「やっぱり大丈夫だったでしょう?良かった。でもあなたの心配性は治らないね」と言っています。

 心配性? そうなんだよ。自分でもそう思うよ。でも、毎晩ではないけれど、おしっこや排便のあと、気になってしまうことがあるのです。健康な人は症状が何もないからそう言えると思うのですが、症状が出て、つらい時は、食事を休もうか、水を飲むのもやめようかとか、そんなことまで思うこともあるのです。でも、毎日お腹がすいて食べられるし……と、Aさんは心の中で自己弁護しています。

 奥さんからこんな言葉をかけられました。

「検査で大丈夫なのだから……きっと、春になって暖かくなったら、気にならなくなってもっと元気になるわよ。お父さん、度胸がないね。人間、みんないつかは死ぬんだから。食事もこんなにたくさん食べられるし。春に旅行にでも行こうよ。コロナは落ち着いているし、この3年、どこにも行っていないから、温泉にでも行きましょう」

 Aさんは、新聞に挟んであった旅行会社の広告を指しながら答えました。

「そうだね。明日、旅行会社に電話してみようか? どこがいいかね。四国かね、九州がいいかね?」

佐々木常雄

佐々木常雄

東京都立駒込病院名誉院長。専門はがん化学療法・腫瘍内科学。1945年、山形県天童市生まれ。弘前大学医学部卒。青森県立中央病院から国立がんセンター(当時)を経て、75年から都立駒込病院化学療法科に勤務。08年から12年まで同院長。がん専門医として、2万人以上に抗がん剤治療を行い、2000人以上の最期をみとってきた。日本癌治療学会名誉会員、日本胃癌学会特別会員、癌と化学療法編集顧問などを務める。

関連記事