天皇の執刀医「心臓病はここまで治せる」

iPS細胞は重症心不全患者にとって大きな“救い”になる

天野篤氏
天野篤氏(C)日刊ゲンダイ

 世界初となるiPS細胞を使った心臓病の臨床研究が今年度中に実施されることになりました。

 大阪大の澤芳樹教授(心臓血管外科)の研究チームが主導する計画で、京都大が健常者の血液から作製しているiPS細胞を、チームが心筋細胞に分化させて円形の心筋シートに加工し、重症心不全患者の心臓に貼り付けます。シートは約3カ月で消失しますが、新たにつくられた心筋によって心機能が維持されます。

 澤教授のチームは、これまで患者自身の太ももから骨格筋芽細胞(筋線維の由来となる細胞)を採取してシートをつくり、心臓に移植する治療法を研究してきましたが、重症心不全患者ではうまく機能しなかったといいます。しかし、iPS細胞を使った心筋シートは心筋線維自体が再生されて心臓の拍動と同期することで機能を回復することが動物実験で確認されました。

 それだけに、今回の臨床研究は重症心不全患者にとって希望の光になり得ると同時に、今後のiPS細胞による再生医療の試金石になると注目されているのです。

 iPS細胞の大きな特徴は「未分化細胞」であるということです。細胞というものは分化をどんどん繰り返して、ある特定の機能を持つようになります。まだ分化していない未分化細胞は、心臓や胃腸など体のどんな器官にもなることができるため、再生医療の分野で大きな期待がかけられているのです。

■いくつかの懸念も指摘されているが…

 ただし、未分化細胞には大きな欠点があります。がん化したときの悪性度が極めて高いのです。心臓の筋肉を再生させるために未分化細胞を利用した場合、すべてが高度に悪性化してしまう可能性があるのです。

 また、現時点でわれわれが考えている通りに病状が推移するかどうかもわかりません。かつて、末期的な重症心不全患者に対する切り札の治療法として心臓移植が登場したときもそうでした。心臓を移植した後は、拒絶反応を起こさないように免疫抑制剤を使います。その中でもいちばん多用されている免疫抑制剤が、後になって動脈硬化を促進することがわかったのです。

 心臓移植はうまくいっても、今度は免疫抑制剤による動脈硬化のために冠動脈の狭窄が起きて、冠動脈バイパス手術やステント治療を追加する必要が出てきます。これは心臓移植の“アキレス腱”ともいわれています。iPS細胞でも、現時点では誰も気が付いていない問題がいずれ起こるかもしれません。

 とはいえ、iPS細胞を使った再生医療でしか命が助からない患者にとっては、最後の大きな“救い”になり得る画期的な治療法です。また、仮にがん化が起こったとしても、どれくらいのスピードで、どの程度まで悪性化するのかは誰もわかりません。結果的に患者さんのQOL(生活の質)が劇的に改善する可能性もあります。それだけ、期待が大きい治療法なのです。

 私はiPS細胞の原点は手塚治虫さんの漫画「ブラック・ジャック」にあるのではないかと考えています。作中、主人公ブラック・ジャックの助手を務めるピノコという小さな女の子が登場します。このピノコは、実はある女性患者の体にできた奇形腫の中にバラバラになって収まっていた脳、内臓、手足などを摘出し、ブラック・ジャックが人型に組み立てた女の子です。

 もちろん、フィクションならではの設定ですが、髪の毛や歯といったものが体内に残って腫瘍化するケースは実際に起こります。ブラック・ジャックは「いったん腫瘍になってしまったものを元の正常な臓器に戻せないか」という発想でピノコを誕生させました。そうした発想の逆に当たるのがiPS細胞です。つまり、細胞を初期化することによりそこから人間の操作でさまざまな臓器をつくっていくという発想です。ちなみに、手塚治虫さんは大阪大医学部の出身で、澤教授は後輩に当たります。

 今回の臨床研究では、iPS細胞を使った心筋シートを3人の患者に移植する予定になっています。これが成功して安全性や有効性が確認されれば、重症心不全患者の新たな治療法として広まるのは間違いありません。さらに、心臓という危険性の高い臓器でうまくいったとなれば、他の臓器でもiPS細胞による再生医療が行われる契機になるでしょう。そうした観点からも、今後もこの臨床研究から目が離せません。


天野篤

天野篤

1955年、埼玉県蓮田市生まれ。日本大学医学部卒業後、亀田総合病院(千葉県鴨川市)や新東京病院(千葉県松戸市)などで数多くの手術症例を重ね、02年に現職に就任。これまでに執刀した手術は6500例を超え、98%以上の成功率を収めている。12年2月、東京大学と順天堂大の合同チームで天皇陛下の冠動脈バイパス手術を執刀した。近著に「天職」(プレジデント社)、「100年を生きる 心臓との付き合い方」(講談社ビーシー)、「若さは心臓から築く 新型コロナ時代の100年人生の迎え方」(講談社ビーシー)がある。

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