実録 父親がボケた

<8>わずか半年で介護認定「要支援1」から「要介護2」へ

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写真はイメージ(C)日刊ゲンダイ

 私の夫は年1回、元日だけ私の父に会う。夫いわく、「最初はコワモテだったけど、ここのところ表情がどんどんまるくなってきた」そうだ。父は俳優の石橋蓮司に似ている。顔も頭髪も。テレビで蓮司を見るたびに、親近感を覚えていた。ただし、蓮司はセクシー、父はボケジーである。

 認知症で表情が柔らかくなると聞いたことがある。「まあちゃん、(私と姉は20年前から父をそう呼んでいる)笑って」と言うと、満面の笑みを見せるようになった。パブロフの犬化、成功。これには私の腹黒い魂胆がある。

 今後、介護施設に入り、スタッフさんから愛されるには笑顔と感謝の気持ちが大切だからだ。さらに「ごめんね」と「ありがとう」をちゃんと口にすること。父の施設入居を想定し、笑顔と謝意の訓練をしておこうとひそかに考えていたわけだ。

 しかしだ、昭和初期生まれの男どもは至れり尽くせりの妻に「ごめんね」「ありがとう」を一切言わない。突然言おうものなら妻たちは天変地異とばかりに驚くのだ。

 一度父が粗相した時「ごめんね」と言ったようで、すっかりほだされた母は、「生まれて初めてこの人の口から『ごめんね』を聞いたの」。

 さて、そんな父の状況だが、真夏の不法侵入事件を経て、再び介護認定の区分変更を申請。調査員が家に来て、父のボケ具合を判定してもらうことになった。 

 まず3つの絵を見せた後、別の話題をふり、再び3つの絵のうち、1つを隠して見せる。「ここには何の絵がありましたか?」と聞く。たった1分前のことなのに、父は答えられなかった。「マジか!!」と驚いた。そして約3週間後、「要支援1」から「要介護2」に昇格。

 情け容赦なく父の老化をつづってきたが、まだ寝たきりではない。食事も全部たいらげるし、ダジャレも飛ばす。時に廃人、時に賢者。だからこそ厄介なのだ。

吉田潮

吉田潮

1972年生まれ、千葉県出身。ライター、イラストレーター、テレビ評論家。「産まないことは『逃げ』ですか?」など著書多数

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