天皇の執刀医「心臓病はここまで治せる」

海外留学は若手外科医にとって大きなプラス

天野篤氏
天野篤氏(C)日刊ゲンダイ

 海外で活躍する日本人の若手心臓外科医が増えていて、いまのままでは近い将来、日本国内で心臓外科医の「空洞化」が起こるのではないかと懸念されています。

 私も、若い頃は海外で腕試ししてみたいという思いはありました。ただ、当時は、私が勤めていた病院では心臓外科医が少なかったうえ、手術も任されながら多くの経験ができました。その前に勤務していた病院は症例不足でそれほど経験を積めなかっただけに、かなり満足できる環境でした。そのため、結局、海外に飛び出すことはありませんでした。

 しかし、いまの日本では、かつては手術を行っていた疾患も内科のカテーテル治療に移行し、専門医レベルでも医師数に対しての手術数が不足している状況です。そのため、若手が執刀を任されて経験を積む機会はそれほど巡ってきません。また、海外に比べると心臓外科医の“位置づけ”もそれほど高くはありません。そうした環境が若手の海外流出が加速している一因になっているのです。

■日本に戻ってくるように問題点を見直す必要がある

 こうした日本の現状を見ると、若手にとって海外留学はやはり大きなプラスといえます。当院でもいま、“武者修行”という形で若手の心臓外科医をインドに派遣しています。欧米では、外科医はあくまでもシステムの中の一員として自分の役割だけをこなす場合がほとんどですが、インドではそうはいきません。まだ医療後進国なので周囲に頼れる範囲が小さく、自分自身が頑張らないといけないのです。しかし、1施設当たりの手術数が年間5000例以上と莫大で、その分だけ症例を経験できますし、努力次第で自分の“陣地”を広げることができます。1年もすれば、アッという間に実力がつくのは間違いありません。

 また、こうした海外への武者修行は若手の上司にあたるベテラン医師の度量も試されます。ベテラン医師にとっては、若手を手元に置いたままずっと自分の言うことを聞かせておくほうが都合がよく、楽をすることができます。人員が1人減るというのは、かなり負担が大きいのです。

 しかし、それでも若手の成長を考えて、半ば強制的にでも「海外で腕を磨いてこい」と送り出せるかどうか。海外留学も含めて、若手の成長はベテラン医師の器にかかっているといってもいいでしょう。

 ただ、問題になるのは、海外で経験を積んで一人前になった若手が日本に戻ってくるかどうかです。前回もお話ししましたが、海外流をどこまで貫き、日本流に手直しするところは機敏に対応しなければ通用しません。そのためには医療界全体であらためて見直していかなければならない部分がたくさんあります。

 近年、日本では外科医が不足しているといわれていますが、人口比で見ると医師の数が極端に少ないわけではありません。WHO(世界保健機関)のデータでは、日本の人口1000人当たりの医師数は2・30人でOECD加盟国の平均を下回っていますが、徐々に充足しつつあります。

 問題なのは医師の数よりも地域偏在です。若手医師の多くは「都市部の大きな病院の方が症例数が多いから経験を積める。最先端の医療を習得できる」と考えるため、都市部に医師が集中しています。しかし、都市部での患者数は限られているため、外科医のスキルを上げるための患者数は必ずしも確保されていないのが現状です。

 外科医の数が少なく患者が多い地域にも設備を整えるなどして、若手にとっては都市部よりも経験も実績も積めるようになっていけば、モチベーションもアップします。活躍の場がいくつもあれば、海外で武者修行して日本に戻ってくる若手も増えていくでしょう。そうした外科医の社会的な評価をもっと高めていくような活動も必要です。

 また、ベテラン医師の側は、若手の“目標の質”を変えていく教育や改革も求められます。上司に従うだけでなく、どうやったら自分が上司を含めたまわりを凌駕して陣地を増やせるのかを考えさせ、それを受け入れる土壌をつくっていかなければなりません。

 どれも簡単なことではありませんが、日本での外科医の空洞化を防ぐためには、一つ一つ問題点を見直していくしかないのです。

天野篤

天野篤

1955年、埼玉県蓮田市生まれ。日本大学医学部卒業後、亀田総合病院(千葉県鴨川市)や新東京病院(千葉県松戸市)などで数多くの手術症例を重ね、02年に現職に就任。これまでに執刀した手術は6500例を超え、98%以上の成功率を収めている。12年2月、東京大学と順天堂大の合同チームで天皇陛下の冠動脈バイパス手術を執刀した。近著に「天職」(プレジデント社)、「100年を生きる 心臓との付き合い方」(講談社ビーシー)、「若さは心臓から築く 新型コロナ時代の100年人生の迎え方」(講談社ビーシー)がある。

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