正社員で働く発達障害の人々

発達障害“グレーゾーン”の人が集まるイベントで意気投合

一色宏治さん
一色宏治さん(提供写真)

 大学院を修了し、IT系の会社に就職した一色宏治さん(41)。もともと理数系の勉強は得意なことから仕事はなんとかこなしていたが、「キャパシティーは仕事でいっぱい。全エネルギーのうち、仕事は6割。それでいて趣味に3割くらい割いてしまい、日常生活の維持には、せいぜい残り1割しか残っていない。必然的に睡眠はメチャクチャになり、部屋も散らかり放題でした」という。

 すぐに横須賀に転勤になり、そして入社9年目、プロジェクトリーダーになったときに大きな壁が立ちはだかる。

 ひとりでSEの仕事をすればよかったそれまでとは違い、チームをまとめ上げ、社内外との折衝やお金の計算もしなければならない。当初は趣味の時間を減らすことで乗り切ろうとしたが、それも限界になってしまう。

「子供のころから、私はキャパシティーを超え始めると『過集中』という状態になって乗り切ろうとする。このときもそうしたのですが、過集中を1週間くらい続けると頭の中が暴走を始めるんですよ。夜も眠れなくなって、頭の中がぐるぐる回転し始める。私はわりと自分の意志で過集中に入れるので、人に話すと『ドラゴンボールのスーパーサイヤ人みたいだね』と言われたりしますが、私のスーパーサイヤ人はあとにツケを回しているだけで、実は戦闘力は上がっていない(笑い)」

 一色さんのほうから「発達障害なのではないか」と会社の上司に相談。紹介された病院で問診や検査を受け、子供のときの状況を調べるために小学校の通知表を実家から送ってもらって医師と検討した。そして受けた診断が、「発達障害の一種であるADHD(注意欠如・多動症)であり、かつASD(自閉スペクトラム症)のグレーゾーン」。ADHDに関しては正式な診断が下りたが、ASDに関しては「正式に発達障害と診断するほどではないが、かなりその傾向が強く、定型発達者(健常者)と発達障害者の境目にある」とのことだった。

 そのとき一色さんは35歳。それでも無理してプロジェクトリーダーを続けたが、4年後に脳梗塞で入院。翌年、入社15年目にしてプロジェクトリーダーを外れた結果、仕事はかなり楽になり、精神状態は回復した。現在は入社16年目だ。

「プロジェクトリーダーを外れる直前は、仕事量が多すぎるときと、過集中しすぎた後にうつになっていました」

 発達障害と診断はされたもののASDに関してはグレーゾーンで、人に話してもなかなか理解してもらえない。そんな一色さんだが、発達障害のグレーゾーンの人たちが集まるイベント「OMgray事務局」代表のオム氏とkokopelli氏が主宰する「自分プレゼンテーション」に参加するようになって、初めて自分の状態を理解してくれ、分かり合える仲間に出会えたという。

「話してみると、みんな他人と同じようにうまくできないことからくる生きづらさに悩んでいる。困りごとの内容も『あるある』とお互いうなずくことばかりで、初めて自分と似た人たちに会えて、新鮮な気持ちでした」

 一色さんは、東京都内で開かれる「自分プレゼンテーション」のイベントに毎回参加し、自分の特性を説明するプレゼンテーションなどを行っている。=つづく

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