絶望してはいけない 命をつなぐ僧侶の言葉

「私たちは苦しみの多い社会をどう乗り切るか、という宿題を与えられ生きている」

曹洞宗長寿院の篠原鋭一住職
曹洞宗長寿院の篠原鋭一住職(C)日刊ゲンダイ

【Q】友人たちと居酒屋に行ったりで、女性のいる飲み屋さんに行くのが楽しみで、それを元気の糧に仕事をしていたのですが、コロナ以降、飲み会がほとんどなくなってしまい、女性のいる店も行けない雰囲気になって、ストレス解消ができません。ひとり暮らしなので、家に帰っても寂しいだけで、悶々とする日々を送っています。


【A】お酒なんかひとりで飲んでいればいいんですよ。コロナというこんな事態がなかったら、毎晩毎晩新橋や新宿で飲み歩いていいたような人は、いまが自分を見つめなおすいい機会です。どうせ飲み歩いても中身のある話なんてしないんですから。ひとりで飲む酒を楽しめばいい。

 私は成田空港の近くの長寿院という寺の住職をしているのですが、いまはコロナで飛行機があまり飛ばなくなって、本当に静かなんですね。そこで静かにひとり酒を飲んでいると、竹のすれる音とか、虫や鳥が鳴く音とか、いままでも聞いたこともあるような気がするけど、こんなにたくさんの種類があったかなあ、という音が、たくさん聞こえてきます。そんななかでひとり酒を飲んでいると、まるで俳人の松尾芭蕉の時代に還ったかのようで、実に味わいがあります。

 そうしてひとりで酒を飲んでいると、ある種の瞑想の時間のようになって、いままで気付かなかったことや思いつかなかった考えが、ふっと浮かんでくる。インドでは古来から人生を学生期、家住期、林住期、遊行期と分けて、年齢によって生の在り方が変化していくと教えます。そのなかで中年を過ぎると林住期といって、森林に隠栖して修行する時期が来るというのですが、そういう得難い時が来たと思えばいい。自分の人生の生まれてから今までをゆっくり思い返して、ありがたい時間を持つことができたなあ、と思えばいいんです。そのほうが、お姉ちゃんたちと騒いで飲んでいるよりよっぽどいい。自分の部屋だと雑音が多くて静かな気分にならないというのなら、ぜひ長寿院までいらっしゃい。ソーシャルディスタンスで私とは2メートル離れて、ゆっくりお酒を飲めばいいでしょう。

 コロナのためにあれもできなくなった、これもできなくなったとマイナスでばかり捉えるから、苦しみばかりがつきまとってしまう。もともと世の中自体に不安がつきもので、私たちは不安と同居しながら生きていくものなのです。だからこの世界を娑婆、苦しみの多い社会と呼ぶのです。私たちはそんな社会をどう乗り切っていくかという宿題を与えられながら生きている。この答えを見つけにいくのが面白いととられられたら、物の見方が変わってくる。自分の生きている時代に、こんな大変化に遭遇した。これは面白い。この大転換期に遭遇して、自分という人間の在り方はどう変わっていくだろうかと、面白がる気持ちになれば、苦しさもなくなります。飲み歩いて騒いで、落ち着かない疲れる生活から、静かにひとりを楽しむ生活に、一段階上昇したと思えば、残念がる理由など何もないはずですよ。

▽篠原鋭一(しのはら えいいち)「自殺志願者の駆け込み寺」としてしられる千葉県成田市の曹洞宗長寿院住職。1944年生まれ。兵庫県豊岡市出身。曹洞宗東南アジア難民救済会議の結成、カンボジアの難民キャンプで教育活動、中国少数民族の教育活動などに携わる。1994年にカンボジア国王より「国家建設功労賞」が授与。

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