上皇の執刀医「心臓病はここまで治せる」

認められていない考え方をごり押しするルール違反は許されない

天野篤氏
天野篤氏(C)日刊ゲンダイ

 先月26日、昨年11月に起こった、いわゆる「ALS患者嘱託殺人事件」で起訴された医師2人について、裁判の前に事件の争点を整理する手続きが始まりました。

 意識がはっきりあるまま筋力だけが徐々に失われていく難病の筋萎縮性側索硬化症(ALS)の女性患者(当時51)がSNSで死を望むような内容を書き込み、それを目にした宮城県の医師(42)と東京都の医師(43)が共謀し、女性患者から依頼される形で薬物を投与して殺害したとされる事件です。

 今年7月に2人が逮捕された際、自ら死を願う患者の望みを、SNSで知り合った主治医でもない医師が実行したという前代未聞の概要が報じられ、大きな波紋が広がりました。患者の生きる権利や死ぬ権利、安楽死や尊厳死といった、医療、福祉、人権に関わる大きな社会問題として、いまも議論が交わされています。

 それぞれの立場からさまざまな意見があることは理解していますが、医師である私からすると、医師である人間が嘱託殺人に興味を持つことそのものが許されません。

 日本は法治国家で、憲法と法律にのっとった形で医療行為が成り立っています。そのルールの中で認められていない行為は、絶対に許されないのです。

 個人が正当な行為だと思い込んで嘱託殺人をどうしても実行したいのであれば、それが法律で認められている外国に行けばいいのです。彼らの行為は、日本の街中にあるコンビニエンスストアで買い物をするときに、「世界で広く使える通貨なのになんでここでは使えないんだ」とドル紙幣を振りかざすようなものといえるでしょう。

 医学部で医師になるために受ける教育は、医学的な知識や診療・治療に関する知識だけではありません。そうした医療行為を患者さんに対して行使する際は、どのような倫理観を持って行わなければならないかといった考え方を繰り返し徹底して教育されます。何度も何度も試験を受け、その都度、知識と態度と実際に行う医療行為が、それぞれすべて問題ないかどうかを点検され、それに合格した人だけがスタートラインに立てるのです。そうやって成り立っている医師としての一線を、個人の主義主張や都合で変えてしまう行為は排除されなければなりません。

■常に患者を守る側に立つ

 一部報道によると、会員制のSNSで安楽死を肯定する発言を繰り返し、亡くなった女性患者と実際にやりとりをしていた宮城県の医師は、医学部を卒業後に厚労省に入り、7年ほど医師国家試験を担当する「試験専門官」を務めていたといいます。逮捕されたもうひとりである東京都の医師は、日本の医科大学を中退した後、海外の大学を卒業したと申請して医師国家試験を受け、医師免許を取得したそうです。しかし、海外の大学を卒業した事実が確認できないため、警察は、東京都の医師が不正に医師免許を取得した可能性と、当時、試験専門官を務めていた宮城県の医師の関与についても調べているといいます。

 仮にそれが本当だとすれば、彼らは医師の資格を取得する時点で、すでにルール違反を犯していることになります。簡単にルールを破ってしまえるうえ、ルール違反に対して何の後ろめたさも感じないタイプといえるでしょう。

 そうした彼らが正当だと考える「医療のルール」は、どこからどう見てもルール違反になる可能性が高いのです。つまり、彼らは社会的には多くの人に受け入れられないような考え方を、たまたま目にした患者さんを利用して、ごり押ししただけに過ぎません。彼らが自分たちの考え方を現実にしたいのであれば、まずはしっかりと広く第三者の評価を受けてから行うべきで、その手続きがされていない以上、絶対に許されない行為なのです。

 医師は患者さんを守る側に常に立たなければならない。世界共通の考え方ですが、高齢者や難病患者さんへの支援が整ってきた日本で医師になったのであれば、なおさら守らなければならない大原則です。

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天野篤

天野篤

1955年、埼玉県蓮田市生まれ。日本大学医学部卒業後、亀田総合病院(千葉県鴨川市)や新東京病院(千葉県松戸市)などで数多くの手術症例を重ね、02年に現職に就任。これまでに執刀した手術は6500例を超え、98%以上の成功率を収めている。12年2月、東京大学と順天堂大の合同チームで天皇陛下の冠動脈バイパス手術を執刀した。近著に「天職」(プレジデント社)、「100年を生きる 心臓との付き合い方」(講談社ビーシー)、「若さは心臓から築く 新型コロナ時代の100年人生の迎え方」(講談社ビーシー)がある。

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