独白 愉快な“病人”たち

活動弁士の片岡一郎さん網膜剥離になって「厄年の意味を実感」

片岡一郎さん
片岡一郎さん(C)日刊ゲンダイ
片岡一郎さん(活動弁士・43歳)=網膜剥離

 左目にちょっと大きめの飛蚊症があるなあと思っていたらアッという間に症状が悪化して、4~5日後、大学病院を受診したら「即入院、翌朝手術!」となりました。剥離の度合いが大きかったため、手術はしたけれど完治はせず、左目の内側の一部は欠けている状態です。でも、自然と右目が補うので日常生活には問題ありません。

 あれは2019年7月、活動弁士のライブ前日の夜、稽古をしていた時に「何だかいつもより大きい“やつ”が飛んでるな」と思ったんです。じつは幼い頃から飛蚊症があって、目の前には常に4~5匹飛んでいるのが当たり前なのです。物心ついた頃からそうだったので、普通の人はそうじゃないと知ったのは、わりと最近のことだったりするんです。

 大きめの飛蚊症は、あとになって網膜が剥がれかけている現象だと分かったのですが、その時はそれも分からず、翌日の本番のことばかり考えていました。

 でも、翌朝になると左目は完全にホワイトアウトしていました。吹雪の中にいるような感じで、光は感じるけれど、何も像を結ばない状態。おそらく出血して目の中が濁っていたんじゃないかと思います。

 右目は無事だったのでなんとか本番のライブを終え、いざ病院へ……と思ったのですが、世間は連休でした。眼科も休診だったので、ダメ元でメガネ屋さんに併設されている眼科に行ってみました。案の定、「うちでは検査できません。眼底カメラのあるところで診てもらってください」と言われてしまい、予約を取って2日後に眼底検査のできるところへ行ったんです。

 すると、今度は「目の中でかなり出血しているので、うちではこれ以上調べられません」とのことで、大学病院を紹介されました。もうその頃になると真っ白だった左目の内側半分は暗くなっていて、時折、稲妻のような光が走っていました。

 今どきは、幸か不幸かネット検索で何でも調べられるので、だいたい察しがつくんですよね。自分でも網膜剥離っぽいなと思いながら、一方ではもう少し簡単な病気の可能性も捨てきれません。「点眼薬で治るやつだったらいいな」という願望と、「いや、さすがにこれは網膜剥離でしょ」という思いが行ったり来たりしていました。

 紹介された大学病院を受診すると、当然のようにそのまま1週間入院になりました。予想していたものの入院準備をしていかなかったので「一度帰りたい」と言ってみましたが、「ダメに決まってるでしょ。歩く衝撃でさらに剥がれますよ」と言われて従うしかありませんでした。

 手術はそれほど難しくないという説明を受ける中で、ビックリしたのは「視力を調整することもできますよ」と言われたこと。白内障の手術のように濁った目のレンズを吸い取って、人工レンズを入れるので、めちゃめちゃ良い視力にもなれると聞きました。でも、左右で違いすぎると脳が混乱してしまうということで、少しだけ良くなるように調節してもらい、術後は右目が0・1、左目が0・2になりました。

 これは、まったくの余談ですが、私は生まれつき両目の視力が0・1なのです。しかも乱視。原因は簡単にいうと遺伝です。授業では一番前の席でも黒板の字がよく見えないくらいの近眼にもかかわらず、メガネが嫌いだったので、中学2年生でコンタクトレンズを入れるまで裸眼で過ごしました。初めてコンタクトレンズを入れた時は、世界がギラギラしてまぶしかったことを今でも覚えています。

 でも、医師からは生まれつき視力が悪いことと網膜剥離に関係があるとは言われませんでした。一般にも見られるような、眼球の内部を満たしている硝子体というゼリー状の液体が年齢とともに減少して、目の中に隙間ができることで網膜が破ける加齢現象だと受け止めています。

■体は有限、生きていればガタがくる

 手術は局部麻酔だったので、何かされている感覚や先生方の会話は聞こえていましたが、特に恐怖感はありませんでした。つらかったのは術後2日間です。眼球にガスを入れて網膜を定着させるので、ずっとうつぶせ状態で過ごさなければならないのです。

 寝返りもできないし、体は痛いし、とにかく暇。スマホを見るしかやれることがなかったので、この機会に網膜剥離の手術の歴史を調べたりしました。意外と歴史が浅くて、網膜剥離が治せるようになったのはここ40年ぐらいのことだと知り、医学の進歩に感謝しました。

 退院して半年間ぐらいは眼圧を下げたり炎症を抑えたりする3種類の点眼薬を取っ換え引っ換え頻繁にさしていました。 眼圧を下げるといえば、入院したら血圧を毎日測るじゃないですか。それで私、えらい高血圧だと判明したのです。上がだいたい200㎜/Hgとかで、看護師さんも毎回驚くんです。自分では高血圧で不都合を感じたことはなかったのですが、主治医から「循環器科へ行ってこい!」と言われ、今はしっかり降圧剤も飲んでいます。今後、気をつけなければいけないのは、網膜剥離より高血圧の方のようです(笑い)。

 網膜剥離になってみて、改めて「厄年」の意味を実感しました。体は有限で、人間生きていれば42、43歳でガタがくるから注意しろよ、という先人の教えなのですね。よくできたシステムだなと合点がいきました。また目が2つ、耳が2つあるのは距離感のためだけじゃなく、スペアとしての意味もあるのかなあと思いました。

 もうひとつ驚いたのは、私がブログで「入院しました」と発信した10分後ぐらいに、当時撮影が終わったばかりの映画「カツベン!」のプロデューサーから「大丈夫ですか?」と電話があったことです。「すごいな、プロデューサーはこういう仕事もするのか」と勉強になりました。しかも、「今度の映画は片岡さんにかかっているんですよ」なんて言われたものですから、入院中は非常に気分がよかったです(笑い)。

(聞き手=松永詠美子)

▽片岡一郎(かたおか・いちろう) 1977年、東京都生まれ。高校で演劇を始め、日本大学芸術学部演劇科に入学。在学中に舞台や戯曲を手掛けた後、卒業後は活動弁士の澤登翠に入門。2002年に活動弁士としてデビューし、300作を超える無声映画作品を手掛ける。アメリカやヨーロッパなど海外での活動も多い。2019年公開の映画「カツベン!」では出演と弁士の実演指導に関わり、NHK大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺」にも出演。著書に「活動写真弁史 映画に魂を吹き込む人びと」(共和国)がある。

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