人生に勝つ性教育講座

世界一有名な画家ゴッホの奇行に唱えられる「梅毒説」

(C)TonyBaggett/iStock

 フィンセント・ファン・ゴッホは、「炎の画家」「狂気の画家」として有名です。わずかな意見の違いも自分に対する全否定であるかのように受け止めて怒りを爆発させる性向があり、たびたび発作を起こして人間関係に失敗します。一途な性格で、女性に告白し拒絶されたにもかかわらず、女性の実家にまで追いかけていき、女性の両親が「そのしつこさが不快だ」というのにも耳を貸さず、手をランプにかざして「私が炎に手を置いていられる間、彼女に会わせてください」と迫ったりします。

 また、弟の仕送りで生活しているのにそのお金を絵のモデル代にあて、自身は歯が抜けるほど貧しい食生活をしながら絵を描き続け、少しでも送金が遅れると怒り出す。それを咎めると放浪の旅に出かけるなど、肉親でさえ理解しがたい行動を繰り返します。挙句の果てには、画家仲間であるゴーギャンから自身が描いた自画像の耳の形をからかわれると、腹いせに自ら左耳たぶを剃刀で切り落とし、それを新聞紙に包んで「この作品を大事に取っておいてくれ」という伝言と共に娼婦に送りつけるという「耳切り事件」を起こすのです。

 その後、ゴッホは精神病院や民間療養所で入退院を繰り返しますが、その間に何度も発作が記録され、発作時には絵の具を飲もうとしたり、服毒したりしたようです。そして1890年12月に銃弾を受けた体で帰宅し、2日後に亡くなります。37歳という若さでした。なぜ、彼が銃弾を受けたのかについてはいまだにナゾです。定説は自殺ですが、弾丸の入射角が自殺とは断定しづらいというので、友人が所有する銃が暴発し、その友人をかばうために自殺を装った、などの説もあるそうです。

 ゴッホは1853年にオランダの牧師の家で生まれます。一風変わった子供で癇癪持ちなうえ、ひとりでぷいと遠出する癖があり、一日中昆虫やや空を眺めて過ごすことがあったと言われています。

 16歳で美術商の伯父が経営するグーピル商会に勤めますが、その後に解雇されます。直接の理由は取り消されていたクリスマス休暇を勝手に取ったからということですが、日頃から娼館通いなど素行が悪かったことが影響したと言われています。そこで補助牧師を目指すのですが、これも人間関係のトラブルなどで挫折。ようやく画家になることを決意し、個人的に絵を習ったり、美術学校に行ったりします。

 1886年にはパリに移住し、弟と同居しながら本格的に作品を描きます。そして2年後の1888年に画家の組合を作ることを目的に、南仏のアルルでゴーギャンと共同生活を始めます。しかしすぐに不仲になり、わずか2カ月で共同生活は破綻します。直接の原因は前述の「耳切り事件」でした。

 ゴッホの死後、彼の言動や作品を病気によって説明しようとする試みがなされ、いくつかの説があります。ひとつは「双極性障害」です。そう状態とうつ状態があらわれる病気です。ちなみに「世界双極性障害デー」はゴッホの誕生日である3月30日に設定されています。

 「てんかん」説も有力です。精神病院の若い医師や最晩年を送った療養所の病院長が書き残していることが根拠になっています。「統合失調症」説もあります。この病気は主に思春期から青年期にかけて発症し、幻覚や妄想といった精神病症状や意欲・自発性の低下などの機能低下、認知機能低下などを主症状とする精神疾患です。患者の男女比は同じ程度とされますが、男性のほうが重症化しやすいようです。原因はわかっていませんが、脳の神経の発達異常と関わりがあると考えられています。

 また、ゴッホの狭い興味関心、孤独な性癖から「アスペルガー症候群」ではなかったか、という説もあります。また、幻聴やめまいの症状があらわれる「メニエール病」ではないかという話もあります。耳鳴りに耐えられず自らの鼓膜が敗れるまでたたく例もあることから、「耳切り事件」はその延長ではないかというのですが、これは少し行き過ぎた推理のような気もします。

 ゴッホに限らず19世紀のフランスの芸術家が好んで飲んだのが「アブサン」です。ニガヨモギという薬草が原料で、その成分である「ツヨン」が幻覚や錯乱を引き起こすと疑われ、長く製造禁止となったお酒です。ゴッホはこのお酒を好んだと言われ、「耳切り事件」もこのお酒が原因との説もあります。そのため、お酒が奇行の原因という見方もあります。しかし、ツヨンはよほど大量に摂取しない限りは幻覚や錯乱は起こさないと言われており、ゴッホにもともとの精神疾患があり、それに拍車をかけたとしても直接の原因とはいえないように思います。

 そこで浮上したのが「神経梅毒」説です。ゴッホが生きた19世紀のフランスでは、梅毒が猛威をふるう一方で、その恐ろしさが認識されていませんでした。ですから娼館通いする男性も多く、ゴッホもそのひとりでした。しかもゴッホは淋病で入院していた時期もあったことから、なおさらこの説が真実味を帯びるというわけです。

 しかし、彼の奇行が梅毒であるならば、脳に支障が出る前にゴム腫やバラ疹などの皮膚の異常が起きているはずです。ところが、彼は療養所で医師の診察も受けていたはずですが、そのことは確認されていません。ですから、私はこれは「芸術家ならそういうこともあるだろう」的な見方でしかないように思っています。

 ちなみにゴッホは1880年代のパリで流行したジャポニズムの影響を強く受けており、画商が大量に仕入れた浮世絵に関心を寄せ収集し、その画風に影響を受けたと言われています。また、ゴッホが描いた「ひまわり」7枚のうち1枚は日本の損害保険会社が購入し、新宿区内の美術館に保管されています。この「ひまわり」については贋作説が出たことがありましたが、キャンバスの布がゴーギャンと同じものだと鑑定されたことで、本物だと証明されたそうです。

尾上泰彦

尾上泰彦

性感染症専門医療機関「プライベートケアクリニック東京」院長。日大医学部卒。医学博士。日本性感染症学会(功労会員)、(財)性の健康医学財団(代議員)、厚生労働省エイズ対策研究事業「性感染症患者のHIV感染と行動のモニタリングに関する研究」共同研究者、川崎STI研究会代表世話人などを務め、日本の性感染症予防・治療を牽引している。著書も多く、近著に「性感染症 プライベートゾーンの怖い医学」(角川新書)がある。

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