人生に勝つ性教育講座

豊臣家を滅ぼしたとされる「梅毒」豊臣寄り武将が次々と…

大阪城

 天下取りに成功した徳川家康は性交渉の相手を選ぶことで身を護っていた、とお話ししました。当時は「梅毒」が流行していたからです。

 そんな家康と対照だったのが豊臣秀吉です。秀吉は裸一貫から成りあがって天下人になりますが、1598年に亡くなります。死因についてはさまざまな説がありますが、そのひとつに梅毒があります。

 ご存じのように秀吉は大変な女性好きだったと言われています。あまりの浮気癖に困り果てた妻のねね(後の北政所)が織田信長に浮気を止めるよう直訴したほどですが、それは生涯治らなかったと言われています。秀吉の晩年は、衰弱が激しく、下痢や腹痛、食欲不振に数カ月でやせ衰えていたことがわかっています。そのため、死因は大腸がんなどが考えられるのですが、そのひとつとして梅毒も挙げられているのです。

 梅毒とは主に性的接触によって感染し、症状が進むと皮膚や筋肉などに腫瘍ができる病気です。症状が進行すると、動脈瘤が出来て、それが破裂して命を落としたり、神経が冒されて錯乱状態になることが知られています。

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尾上泰彦

尾上泰彦

性感染症専門医療機関「プライベートケアクリニック東京」院長。日大医学部卒。医学博士。日本性感染症学会(功労会員)、(財)性の健康医学財団(代議員)、厚生労働省エイズ対策研究事業「性感染症患者のHIV感染と行動のモニタリングに関する研究」共同研究者、川崎STI研究会代表世話人などを務め、日本の性感染症予防・治療を牽引している。著書も多く、近著に「性感染症 プライベートゾーンの怖い医学」(角川新書)がある。

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