独白 愉快な“病人”たち

こころMOJIアーティストの浦上秀樹さん 難病「遠位型ミオパチー」との闘いを語る

浦上秀樹さん
浦上秀樹さん(C)日刊ゲンダイ
浦上秀樹さん(こころMOJIアーティスト/48歳)=遠位型ミオパチー

 私はスポーツが好きで、将来はスポーツインストラクターになりたいと思っていたんです。でも19歳の頃から、運動をしていると急に足に力が入らなくなるようになりました。初めは気のせいだと思っていたのですが、その回数がだんだん増えて、「おかしいな。やっぱり姉と同じじゃないかな」と思い始めました。

 じつは3歳上の姉がそのときすでに「遠位型ミオパチー」という筋肉が徐々に減少していく病気を発症していました。医者の話では、「姉弟で同じ病気を発症する確率はほとんどない」とのことだったので、私も両親も心配はしていませんでした。

 ところが、転びやすくなったり、階段を昇りにくくなったりと、症状はどんどん姉のたどった道筋をなぞっていきます。20歳を越えた頃には「姉と同じ病気を発症したんだな」と自分の中では確信しました。でも、「大学卒業までは誰にも言うまい」と決めて、両親にも友達にも黙っていました。気を使われるのが嫌だったんです。

 そして卒業してから「姉と同じ病院を紹介して」と両親に打ち明けて検査入院をし、2カ月後に遠位型ミオパチーと診断を受けました。筋ジストロフィーよりも症例の少ない難病で、今のところ治療法はなく、薬もなし、有効な運動もなし。ショックというより、ハッキリしたのですっきりした気分でしたよ。

 姉を見ていれば、だいたいこの先どうなるかわかるので、動けなくなる前にやりたいことはやろうと思いました。「まずは普通に働きたい」と思ったので、リハビリセンターの職業訓練所に1年間寝泊まりして建築を学んで、CAD(設計ソフト)を習得しました。普通に就職活動をして、車いすの状態で働き始めたのが23歳です。

 その頃はまだ伝い歩きができ、腕に筋肉があったので車いすを操作することもできました。特別な装置を付けての車の運転も28、29歳ぐらいまではしていました。

 その後、在宅で図面を引くようになって、パソコンを口にくわえた棒で操作できるよう早めに練習を始めました。30歳を越えると手も動かせなくなり、今は首から上しか動かせません。

 今の仕事を始めるきっかけになったのは、37歳で出合った杉浦誠司さんの作品集です。ひらがなで構成された漢字が面白くて、口に筆をくわえて書き始めました。これが思いのほか楽しかったので、だんだん文字を考えることにのめり込んでいき、41歳から文字一本に絞って生活を始めました。27歳のときに結婚もしたので、安定したCADの仕事を辞めるのは勇気がいりました。でも、今は正解だったと思っています。

 今できるのは顔の筋肉を動かすことぐらいで、首の角度を変えることも介護ヘルパーさんにやってもらわなければなりません。何が不便って、すべてが不便です。だけど、不幸ではないと思っています。

 周りの助けがあってのことですけれど、工夫すればできることは増えますからね。口が動くので棒があればなんとなくいろんなことができます。たとえば、メールのやりとりは全部自分でやっています。妻に「代わりに打って」とお願いしてもなかなかやってくれません。うちの妻、介護施設で知り合った職員さんなんですけど、そんな甘くないんですよ(笑い)。あと、目がかゆいときは息を目に吹きかけると意外と解消できます。

 介護ヘルパーさんは朝10時から夜8時ぐらいまで付いてもらっています。家族に介助の負担をかけたくないので、できるだけ手がかからないようにしているつもりです。

■腹腔鏡手術を受けて「声」の重要さを痛感

 もう体が十分に動かせなくなったから、これ以上のことはないと思っていたのですけど、3年前、胆管結石になってしまい、腹腔鏡手術をすることになりました。気管挿管をすることになったのですが、気道確保をしようとしたら気管を傷つけてしまったようで、目覚めたら気管切開されて、喉に管が刺さっていました。

 身動きが一切できないうえに、一時的とはいえ声も出せなくなってしまったとき、「しゃべれるってすごいことだ。まだまだ上があった」と思いました(笑い)。

 危なかったのは、ナースコールも押せないので、口の中で舌を「トントン」鳴らして緊急時の合図として伝えなくてはいけなかったこと。つくづく「声はなくさないようにしなければ」と思いました。

 ともあれ、今という時間をすごく大事にするようになりました。そして周りの人に感謝する気持ちが大きくなりました。ひとりでは何もできないのでね。

 ひとつ救いなのは、姉の存在です。私以上にポジティブでアクティブなんです。発症してから車いすでヘルパーさんの助けを借りてアラスカに行きましたからね。今現在は、24時間の介護を受けてなんと一人暮らしをしています。姉と比べたら、自分は何をやっても「普通」です(笑い)。

(聞き手=松永詠美子)

▽浦上秀樹(うらかみ・ひでき)1973年、埼玉県生まれ。21歳で進行性の難病「遠位型ミオパチー」を発症。37歳から筆を口にくわえて字を書き始め、41歳から本格的に漢字の中にひらがなを組み合わせ、奥深いメッセージを込めたアート「こころMoji」の作家としてデビュー。夏川りみ20周年記念アルバムジャケットの題字を担当。著書に「ひと文字のキセキ2」(PHP研究所)などがある。

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