独白 愉快な“病人”たち

舞台上で息が苦しくなって…俳優・松尾貴史さん「肺塞栓症」を振り返る

松尾貴史さん
松尾貴史さん(本人提供)
松尾貴史さん(俳優/61歳)=肺塞栓症

 去年の12月、生まれて初めて舞台に穴をあけました。中止となった長野県と滋賀県の公演チケットをご購入いただいた方に申し訳なく、共演者、スタッフにも多大な迷惑をかけました。

 異変は、稽古が始まって間もない10月10日のことでした。稽古場に向かい、20~30メートルくらいの緩やかな坂道を上っていたら、うずくまってしまうほど息苦しくなったのです。

 そんなことは人生初で、公園のベンチで休んでみたけれど稽古はできそうにありません。それで「きょうは休ませてほしい」とマネジャーに連絡を入れ、帰宅しました。

 1日休んだことでつらさが取れ、翌日には稽古に戻り、11月8日に埼玉で初日に臨み、12日から12月5日は東京公演を務めました。ただ、その間、舞台上で息が苦しくなってしまうことがしばしばあり、穏やかな場面にそぐわないゼイゼイする呼吸をお客さんに聞かれないよう、こらえるのに必死でした。

 念のため公演が始まった頃に人間ドックの予約を入れて、東京公演と地方公演の間の12月11日に調べに行ったのです。すると「一度、循環器系を診てもらった方がいい」という結果が出て、14日、合間を見て心臓血管研究所付属病院へ行きました。

 翌日には長野へ移動し、あさってには本番というタイミングでした。医師にそれを告げると、「冗談じゃない。死にますよ」と言われ、まさかの緊急入院。「肺塞栓症」と診断され、集中治療室で酸素マスクと点滴につながれてしまいました。

 公演の中止に胸を痛めながらもどうすることもできず、ベッドの中ですっかり観念しました。

 でもその日の夜、朗報があったのです。「公演中の舞台『鷗外の怪談』で紀伊国屋演劇賞の個人賞をいただけることになったが、受けるか?」という事務所からの確認の電話でした。それを聞いて、落ち込んでいたグラフが一気にゼロ座標に戻りました。「襲う病あれば拾う神あり」と思い、非常にうれしかったです。

■面白い話が聞けるのでは思い大部屋を希望

 3日間の集中治療室の後は、大部屋の病室を希望しました。カーテンで仕切られているので顔も見えないし、なにか面白い話が聞けるかもしれないと思ったからです。

 案の定、私の隣のベッドにいたのは毎日フィットネスジムでバイクをこいでいるという65歳ぐらいのおじさんで、何キロも負荷をかけて鍛えていることを、部屋に来る看護師さん全員に自慢していました。毎日のように「ちょっとこの脚、触ってみて」「わぁ、すごいですね~」というおじさんと看護師さんの会話をカーテンの仕切り越しに聞かされました(笑い)。

 次にそのベッドにやって来たのは航空会社のパイロットで、入院の理由は定員200人以上の旅客機を操縦するためにクリアしなければいけない検査のためだと小耳にはさみました。飛行機の座席数の違いでそんな基準があるとは初耳でした。その人は数学が好きらしくて、看護師さんに「虚数」の話を延々としていました。「ね、面白いでしょ」というパイロットに対し、「面白いですね~」と話を合わせる看護師さんの決して面白そうじゃない相づちが聞こえてきたりして、4人部屋はまったく退屈しませんでした。

 ちょうど2週間で退院し、年明けから稽古を再開。1月8日の兵庫県から最後の山形県までやり切り、千秋楽ではカーテンコールを5回もいただきました。とてもありがたかったです。

 今でも血液をサラサラにする抗凝固薬を朝夕1錠ずつ服用しています。血管の狭いところに入っている血栓が取れにくくて、まだ少しだけ残っているんです。きれいになくなれば薬もいらないんじゃないかな。次の検査でその後の方針が決まると思います。

 人は経験主義で考えることが多いと思うんです。健康に関しても、「今までこのくらい平気だったから、この程度は大丈夫」というバイアスが人の心理には必ずある。今回、緊急入院という事態になってみて、改めてそのバイアスを差し引いて、自分を冷静に客観的に見なければいけないと学んだ気がします。「1×1」は「1」だけれど、「1.1×1.1」は累進で大きくなる。お酒を飲むときに水を飲まなかった……みたいなささいな油断でも、重なれば大きなリスクになり得るということです。

 そうそう、集中治療室にいたときに、遠くのテレビから私の緊急入院のニュースが流れてきて、「肺塞栓症はつまりエコノミークラス症候群」と決めつけられていたのですが、私は違います。あれは飛行機などでジッとして動かないことが原因なんですけど、私は落ち着きがなくジッとしていられない性質なんです。

 “鷗外”の役のために1年かけて体重を11キロ落としたので、脂っぽいものも控えていましたしね。それでも肺塞栓症にはなるんです。原因はわかりません。でも主演舞台のプレッシャーはかなり大きかったので、あるとすればそれかな。

(聞き手=松永詠美子)

▽松尾貴史(まつお・たかし) 1960年、兵庫県生まれ。大学非常勤副手の傍ら、DJをしていた大阪のディスコでスカウトされ芸能界デビュー。俳優以外にも音楽活動、落語、執筆、折り顔作家(折り紙で顔を作る)など幅広く活躍している。演劇ユニット「AGAPEstore」座長、日本文芸家協会会員、雑誌「季刊25時」編集員。最新刊「違和感ワンダーランド」(毎日新聞社)が発売中。

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