がんと向き合い生きていく

日本が世界に誇る胃がん早期診断は佐野先生の貢献が大きい

佐々木常雄氏
佐々木常雄氏(C)日刊ゲンダイ

 1972年ごろ、国立がんセンター(現・国立がん研究センター)には3つの臨床病理室があり、第1の佐野量造先生が主に胃、大腸の消化管がん、第2の大星章一先生が造血器腫瘍、第3の下里幸雄先生が主に肺がんを扱っておられました。

 当時、大勢の研修生が佐野先生の病理に集まりました。早期胃がんをどうやって見つけるか、胃の臨床病理として最先端の魅力があったのです。私は血液グループの内科レジデントでしたが、毎週木曜の夕方から深夜に及ぶ佐野先生の講義は、一言も聞き逃すまいとノートを持って張り切って一番前に席を確保しました。

 ある年の秋、3カ月間だけ朝から全日、佐野病理を研修できることになりました。先生との会話は、午前10時ごろにこんな感じで始まります。

「おい、佐々木君、今日の昼はエビチャーハンがいいな。裏の築地市場で買ってくるか?」

 当時の私に与えられた課題は、胃悪性リンパ腫の症例の標本を調べることでした。その肉眼所見は胃がんのように決まった型はなく、佐野先生は「ゴミ箱をひっくり返したような所見だな」と表現されました。

 佐野先生の著書「胃と腸の臨床病理ノート」や「胃疾患の臨床病理」は、医学書の中で歴史に残る名著だと思っています。胃炎、萎縮性胃炎の進み方から、がんの発生、早期がんの形態、進行がんへの進み方……そこには佐野理論の世界があります。

 ほとんどの胃がんは、慢性萎縮性胃炎を基にできており、病理医は手術で切除された胃を診て、どこまでが萎縮性胃炎で、どこまでが早期がんか、組織学的、肉眼的所見を明らかにします。そして、それが胃X線検査や内視鏡検査で描出できているか、読影できているかについて、消化器内科・外科医、放射線診断医、内視鏡診断医が集まって詳細に検討し、診断技術が磨かれていきました。

 そうした研さんの積み重ねもあって、胃がんを早期で、また微小な胃がんを見つけることは、世界にも類を見ない、誇れる、日本の得意な分野となりました。

 また、外科医の巧みな手術技術により、日本は胃がんの生存率も世界一になりました。それには、佐野先生の貢献が大きかったと思います。

 そんな早期胃がん診断のパイオニアだった佐野先生は、1976年に亡くなられました。

■ピロリ菌についてどう考えただろうか

 近年、胃がんの原因になるとされている「ヘリコバクター(螺旋型細菌の意味)・ピロリ(胃の出口・幽門の意味)菌」は以前から、顕微鏡で慢性萎縮性胃炎の中に見えていました。それでも酸の強い胃の粘膜に細菌は、すめないと考えられ、問題にしていませんでした。

 その後、オーストラリアの研究者・ウォーレンとマーシャルは、ピロリ菌が胃炎や胃潰瘍の原因ではないかと考え、胃の粘膜にすみ着いている細菌の培養に成功しました。そして、自ら培養したピロリ菌をのみ込み、急性胃炎になったのです。彼らは2005年にノーベル生理学・医学賞を受賞しました。

 さらに、ピロリ菌は口から侵入して胃にすみ着き、萎縮性胃炎を進行させ、がんが発生しやすくなること、ピロリ菌の感染のない人から胃がんが発生することは少なく、胃がんはピロリ菌の感染が深く関わっていることが分かってきました。

 13年、ピロリ菌除菌治療は、それまでの胃・十二指腸潰瘍に加え、慢性胃炎に対しても保険適用となりました。以後、除菌治療を受ける人が増え、ピロリ菌の除菌が開始されてからは胃がんの死亡者は減ってきています。これは、胃がんに対する予防治療として画期的なことと思います。

 もし、佐野先生が生きておられたら、ピロリ菌と胃炎の考え方をどう発展させただろうか……そんな思いが頭に浮かび、とても惜しまれます。佐野先生には、その学問的な世界がありました。

 佐野先生の理論、肉眼標本での胃炎や胃がんの診かたは永遠に不滅である──そう思っています。

佐々木常雄

佐々木常雄

東京都立駒込病院名誉院長。専門はがん化学療法・腫瘍内科学。1945年、山形県天童市生まれ。弘前大学医学部卒。青森県立中央病院から国立がんセンター(当時)を経て、75年から都立駒込病院化学療法科に勤務。08年から12年まで同院長。がん専門医として、2万人以上に抗がん剤治療を行い、2000人以上の最期をみとってきた。日本癌治療学会名誉会員、日本胃癌学会特別会員、癌と化学療法編集顧問などを務める。

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