上皇の執刀医「心臓病はここまで治せる」

米国で心不全の治療に推奨された糖尿病治療薬の期待と課題

天野篤氏
天野篤氏(C)日刊ゲンダイ

 米国心臓病学会、米国心臓協会、米国心不全学会が共同で編集した「心不全診療ガイドライン2022年版」が発表され、心不全の薬物治療で「SGLT2阻害薬」の使用が新たに「推奨」として加えられました。

 SGLT2阻害薬は糖尿病治療薬として開発された飲み薬です。腎臓の近位尿細管で糖を再吸収する役割を担っているSGLT2の働きを阻害し、血液中に余った糖を尿と一緒に排出させることで血糖を下げる効果があります。

 ほかにも、利尿作用、酸化ストレス低下作用といったさまざまな薬理作用をはじめ、心臓と関係が深い腎臓の機能を調整するなどの効果があり、かねて心不全の治療薬として有効ではないかと期待されていました。すでに世界各国で心不全に対する有効性を調べる大規模臨床試験が行われています。

 今回の米国のガイドライン改定では、高血圧や糖尿病など心不全発症の危険因子がある段階のステージAで、「高血圧の管理」や「生活習慣の改善」といった推奨に加え、「2型糖尿病で心血管疾患の既往があるか心血管疾患のリスクが高い患者へのSGLT2阻害薬の投与」がクラス1(強く勧められる)の推奨となりました。また、症候性心不全であるステージCでは、症状が持続する駆出率が低下した心不全(HFrEF/左室拡張機能障害に起因する心不全)に対する投与がクラス1の推奨とされています。

 近年、日本でも循環器内科を中心に慢性心不全に対してSGLT2阻害薬が使われるケースが増えています。米国でのガイドライン改定を受け、今後はますます広まっていくでしょう。

■尿路感染症のリスクあり

 ただし、注意しなければならないのが尿路感染症の副作用です。SGLT2阻害薬は、糖を尿と一緒に排出するため尿糖(尿の中のブドウ糖量)が増加します。そのため、糖を栄養にしている細菌が増殖する環境が整ってしまって、尿路感染症の発症リスクが上がると報告されているのです。

 実際、SGLT2阻害薬を服用している患者さんの検査をすると、尿糖が「+4」くらいまで上昇しているケースが多く見られます。尿糖は陰性「-」が基準とされ、「±」なら要注意、陽性「+」であれば異常と判定されるので、+4は非常に高い数値です。となると、いつ細菌が取り付いて増殖してもおかしくない状態といえます。

 尿路感染症は、その発症部位から、腎盂腎炎、膀胱炎、尿道炎、前立腺炎などに分けられます。SGLT2阻害薬の副作用として多く報告されているのは膀胱炎です。膀胱炎の原因になる細菌は大腸菌が70%を占め、ほかには比較的弱毒とされる腸内細菌がほとんどですが、高熱が出るなどして全身が衰弱すると腸管から血液内に移動して危険な菌血症の原因にもなるので厄介な場合もあります。そうした細菌は膀胱や尿道といった部位に取り付きやすく、尿糖が高くなるとリスクが増大するのです。とりわけ、男性に比べて尿道が短い女性は膀胱炎になりやすいといわれていますから、より注意が必要です。また、高齢になると膀胱や尿道の働きが低下することで尿道口から細菌が侵入して尿路感染症にかかりやすくなります。こちらも気を付けなければなりません。

 尿路感染症が悪化すると、敗血症やDIC(播種性血管内凝固症候群)といった深刻な疾患を引き起こすケースもあり、最悪の場合、死に至る可能性があります。また、心不全がある人は、尿路感染症が一気に病状を悪化させる引き金になるリスクもあるのです。ですから、細心の注意を払うことなく手軽にSGLT2阻害薬を心不全の治療に使うのは“もろ刃の剣”といえるでしょう。

 もちろん、糖尿病の治療にとってSGLT2阻害薬は画期的な薬であるのは間違いありません。とりわけ、死亡につながる低血糖を起こしにくい点も優秀です。ただし、副作用のリスクや、脱水を起こさないような注意点があることなどを考えると、やはり糖尿病の専門医が使う薬といえるでしょう。心不全の治療に有効であるのは喜ばしいですし、循環器の医師が使用を推奨するのも良いのですが、安易に使うべきではありません。循環器の医師でもSGLT2阻害薬についてしっかり勉強したうえで、個々の患者さんに対する有効性と安全性を見極めてから使用しなければいけません。

 一般的な糖尿病に対してSGLT2阻害剤がより安全に使用できるようになれば、糖尿病が引き起こしやすい冠動脈疾患からの慢性心不全も、早期から治療効果を期待できるかもしれません。そうなると、今では当たり前になっている「バイアスピリンの脳梗塞予防効果」のように、糖尿病患者さんの健康寿命を延ばす大切な薬剤になるだけでなく、心不全の患者さんに対する効果と安全性の検証をさらに積み重ねることができるでしょう。SGLT2阻害薬の今後に期待しています。

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天野篤

天野篤

1955年、埼玉県蓮田市生まれ。日本大学医学部卒業後、亀田総合病院(千葉県鴨川市)や新東京病院(千葉県松戸市)などで数多くの手術症例を重ね、02年に現職に就任。これまでに執刀した手術は6500例を超え、98%以上の成功率を収めている。12年2月、東京大学と順天堂大の合同チームで天皇陛下の冠動脈バイパス手術を執刀した。近著に「天職」(プレジデント社)、「100年を生きる 心臓との付き合い方」(講談社ビーシー)、「若さは心臓から築く 新型コロナ時代の100年人生の迎え方」(講談社ビーシー)がある。

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