独白 愉快な“病人”たち

歌手の浜中よし子さんは帯状疱疹をきっかけに女優業を離れ…

浜中よし子さん
浜中よし子さん(C)日刊ゲンダイ
浜中よし子さん(歌手/83歳)=帯状疱疹

 18~19歳の頃だから、今から64年も前のことよ。当時は「帯状疱疹」なんて名前はなかったと思うわ。でもその名前の通り、帯状にブワッと湿疹ができたのはよく覚えています。

 あれは、私が日活という映画製作会社にスカウトされて入って1年が経った頃でした。当時は日本映画の黄金期で、日活には石原裕次郎さんや小林旭さんといった大スターがたくさんいました。

 高校を卒業したばかりで右も左もわからない歌好き少女だった私でも、今日はこっち、明日はあっちと、バス移動で撮影所をめぐる毎日でした。スカウトしてくださったのが裕次郎さんを育てた有名プロデューサー・水の江滝子さんだったこともあり、期待に応えようと必死でした。もちろん全部端役ですよ。でも撮影は早朝だったり、深夜だったり時間がめちゃめちゃで、次第に疲労とストレスがたまっていきました。

 そしてある朝、右胸の先にポチッと赤く小さい水疱ができたのです。それが痛いんですよ。アッという間にその日の夕方には2センチぐらいの幅で背中の方までぶよぶよとした水疱が混じる赤い帯が広がっていました。

 近所の病院へ行くと注射をされて、「安静にしていてください」と言われました。何の注射だったか、飲み薬や塗り薬があったかどうか、詳しいことはもう覚えていません。でも何日か寝ていたら治りました。

 帯状疱疹は最近もはやっているんでしょう? この病気は、水疱瘡のウイルスと同じ、水疱・帯状疱疹ウイルスが活性化することで発症するそうです。一度水疱瘡になると、ウイルスが何十年も神経細胞に残るんですって。元気なうちは眠っているけれど、免疫力が落ちると活性化して発症してしまう。どこにできるかはわからなくて、もし目の神経に発症すると失明の可能性もある怖い病気だそうです。

 そこまでわかっていたかどうかはわかりませんが、それ以来、父親(養父)に女優を続けることを反対されてしまい、日活から離れました。

 その後、米軍キャンプやキャバレーで歌うようになりまして、全国を転々としていたとき、日本ビクターの人の目に留まり、歌手デビューをしたのです。

 ところが、その直後、母(養母)が亡くなり、その2年後には実姉が、さらにその4年後には父を亡くし、29歳でひとりぼっちになりました。

■3人目の子供を流産…当時は今より出産は命がけ

 これは病気とはいえないですけれど、そのあと結婚して、30代で流産を経験しています。当時、30歳での結婚はかなり遅めで、なるべく早く子供が欲しかったので焦ったんですね。

 30歳、33歳、35歳で出産をしました。しっかり回復できてなかったんでしょうね。3人目が流産でした。

 分娩台に乗ってからお腹の中で破水していることがわかり、「早く切って赤ちゃんを出して!」と叫んだのですが、書類にサインが必要だとかなんとかで、夫が来るのを待ったりして、結局、赤ちゃんは窒息死していました。お腹の中は血だらけで、そのときに子宮も全摘出となりました。

 当時のことなので、出産は今よりもっと命がけ。赤ちゃんが助かって私が死んでいたかもしれないケースでした。看護師さんに「赤ちゃんに助けられましたね」と慰められたことは忘れられません。

 思えば、私は双子で生まれて、1歳になるまでに2度死にかけたと養母から聞いたことがあります。当時は双子はどちらかが弱いのが普通だといわれていて、私は“弱い子”の方だったのでしょう。医者から「そろそろ危ない」と告げられ、親戚が集まる騒ぎが2度あったそうです……。

 そんなに弱かった私が、今83歳でこんなに元気なんですから、不思議なものですね。

 おかげさまで帯状疱疹以来、大きな病気もせずに過ごしています。赤ちゃんに救ってもらった命でもあるので、健康にはずいぶん気を付けています。まず、ちゃんと寝ること。夜は10時に寝て、朝は4時半に起床です。運動も膝と腰に負担をかけないよう、プールでの水中ウオークをほぼ毎日1時間やっています。歯も2カ月に1回、歯科医院でお掃除してもらっていますしね。もちろん、帯状疱疹の予防注射も受けています。

 ただ、2年前の健康診断で「糖尿病予備群」と言われてしまったので、毎日2錠のお薬と毎月1回採血をしながらコントロールしています。

 健康の秘訣は、なんといっても歌じゃないかしら。特に仕事もないから、毎週カラオケに行って2~3時間歌っています。60歳から10年間ボイストレーニングに通ったので、声がかれたりしないの。腹式呼吸が体にいいんだと思っています。

(聞き手=松永詠美子)

▽浜中よし子(はまなか・よしこ)1939年、東京都生まれ。のど自慢大会をきっかけに18歳でスカウトされ、「日活」所属の役者になる。22歳で堺ヨシコとしてアルバム「日本民謡をジャズで」でデビューするも、家庭の事情で芸能界を離れる。結婚、子育てを経て60歳から歌を再開。昨年、82歳でオリジナル曲を含むカバーアルバム「風が吹いている」(販売元:モモグレ)をリリースした。

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