独白 愉快な“病人”たち

佐野史郎さん多発性骨髄腫との闘いを語る「一度は生きることを諦めかけて…」

佐野史郎さん(C)日刊ゲンダイ
佐野史郎(俳優/67歳)=多発性骨髄腫

 入院中に「敗血症」を起こして高熱が1カ月以上続き、日に日に衰弱してしまい、あの世の入り口みたいな夢をみるようになったのです。正直、「これはもうダメなのかな」と思いました。

 始まりは去年4月、熊本映画祭のトークイベントが終わってひと息ついてたら、ちょっと寒けがしたので早めに寝たんです。だけど平熱。帰りの空港でも平熱でした。

 39度の高熱が出たのは、その翌日の夜のことです。当時、TBS系の連続ドラマ「リコカツ」の撮影が第4話の途中まで進んでいました。「まずい」と思い、現場をキャンセルしてPCR検査を受けに行ったんです。

 ところが、結果は陰性でした。「じゃあ風邪か」と思って、番組でお世話になっているクリニックを紹介していただきました。受診すると白血球の数が尋常じゃなく、すぐに大学病院を紹介されました。しかも「入院の準備をして行ってください」と、ただ事ではない様子。紹介された大学病院の血液内科を受診すると、「多発性骨髄腫です」と告げられました。

 僕が大好きな俳優の故・田宮二郎さんが「白い影」というドラマの中で演じた医師が侵された病名で、この病気が血液のがんだということはよく知っていました。でも、不思議と落ち着いていたんです。ドラマのワンシーンを撮影しているようで。その場での第一声は、世間話みたいな感じの「で、どうしたらいいですかね?」でした。

 当然のことながらドラマを降板して入院するしかありませんでした。当初、「腎機能不全による降板」と発表したのは、始まったばかりのドラマへの配慮でした。だって「多発性骨髄腫」って字面も響きもインパクト強すぎるでしょ? 実際、腎機能がひどく低下していたのは事実で、まずそっちを治療しなければがん治療ができなかったので、ウソじゃないんですよ(笑)。

■治療は撮影現場と同じチーム作業

 治療計画は、まずステロイド剤で腎臓の炎症を抑え、その後に抗がん剤でがんを抑えつけて、自分の造血幹細胞を使った自家移植というものでした。入院は、腎臓と敗血症の治療で約2カ月、自家移植の再入院までの間は3~4カ月あり、体力づくりと自分の造血幹細胞を採取するための短い入院がありました。

 冒頭でお話しした高熱騒動は、1回目の入院時に起こりました。腎臓の数値はどんどん良くなりましたが、免疫力が落ち、敗血症(感染症)で、3週間苦しみました。一度は生きることを諦めかけて、「恵まれた人生だったなあ」とか、「ああ、楽しかった」なんて言ってました。そんな時でも芝居してて(笑)。そしたら熱が下がってきたんです。

 ようやく退院できたのが7月。そこから自宅療養を経て、11月に2回目の入院です。いよいよ抗がん剤と造血幹細胞の自家移植となりました。

 抗がん剤投与の治療は過酷なものでした。髪の毛は抜け、粘膜がただれて下痢にもやられました。ただ、口内炎はできなかったんです。その病院の口内炎予防策は非常に原始的ですけど「氷」。氷をなめてずっと口の中を冷やしていたのです。私の場合はそれが功を奏して、食欲はないながらも少しは食べることもできました。

 非常に強い抗がん剤で血液中のがん細胞を消滅させ、自家移植を行いました。その時の体調をたとえるなら、とんでもない二日酔いがずっと続く感じ。2週間はつらかったです。それでも体力があったので計画通りに治療が進み、1カ月弱で退院となりました。

 いまは月に1回、定期検診を受けて、状態に応じた薬を処方してもらい維持療法をしています。おかげさまで日常を取り戻すことができました。

 今回の経験で思ったのは、治療は映像の撮影現場とほぼ同じだということです。いろんな役割を持つ人たちがチームで連携してひとつのことを成し遂げる作業なのです。

 大事なことは作品づくりと同じで「信頼関係」だと思います。そのためにはコミュニケーションを取り続けること。私はできるだけ医師や看護師さんと交流して、自分の状態や心情を正直に伝え、次にどうすればいいかということを常に確認し合えるよう努めました。「先生のおっしゃる通りに」と丸投げでお客さんにはならず、けれど自己判断はせず、共に作品を作るように交流することが大切なのだと感じました。

 つらいこともありましたけど、振り返れば大変充実した時間でした。楽しかったと言ってもいいくらい。病気になったら、やるべきことに迷いがないでしょう? 目標に向かって一つ一つ治療をクリアする。一瞬一瞬がとても貴重な時間でした。

 面白かったのは、周囲の人の一挙手一投足がとてもよく見えたこと。命が懸かっていると自然と“センサー”が鋭くなり、しぐさや声のトーンで医師や看護師さんたちの心の内がわかるような気がするんです。俳優なら、現場でもこのくらい神経を張りめぐらさなければと反省しました(笑)。

 一番つらかったときに願ったのは、「家に帰って風呂に入って、カミさんの料理で家族で食卓を囲みたい」ってことでした。家族が一番大切なのだと気づかされました。なんか、悔しいけどね(笑)。

 (聞き手=松永詠美子)

▽佐野史郎(さの・しろう) 1955年、島根県出身。高校卒業後上京し、75年劇団の旗揚げに参加。その後、唐十郎主宰の劇団「状況劇場」に在籍。退団後、86年に「夢みるように眠りたい」で映画主演デビュー。92年のドラマ「ずっとあなたが好きだった」(TBS系)の冬彦さん役でブレークした。現在、ドラマ「警視庁強行犯係 樋口顕Season2」(テレビ東京系)に出演中。

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