「高齢者のがん治療」知っておきたい16のポイント 静岡がんセンター山口建総長が解説

 健康保険では65歳以上75歳未満を「前期高齢者」、75歳以上を「後期高齢者」と区分している。2010年の統計では、全てのがん患者の41%が後期高齢者で、29%が前期高齢者。つまり、がん患者の70%が高齢者だ。高齢者のがん治療において、特に知っておくべきことは何か? がん対策推進協議会会長を務めた、静岡県立静岡がんセンター総長の山口建医師に聞いた。

■「80代だから/90代だから、手術をしない」ということはある?

 日本人の身体状況は暦年齢(実際の年齢)より若いので、がん治療では75歳以上を「高齢者」と考えることが多いと思います。がん治療の現場では、暦年齢ではなく、患者さんの身体的、精神的機能を評価し、手術、放射線、抗がん剤といった治療に患者さんが耐えられるかを重視します。

 例えば、85歳の肺がん患者さんで、呼吸や心臓の機能がかなり衰えている場合は、手術でがんを切除できたとしても、体力を消耗し、入院期間が長引いて合併症のリスクが高くなります。結果、余命をそれほど延ばせないと考えられ、手術は実施すべきではないという結論に達します。

 一方、85歳でも身体的、精神的に元気な患者さんであれば、負担の少ない手術を実施するなど、治癒を目指す治療を行うことがあります。

 がんの種類によっても違います。全身への負担が少ない皮膚がんや乳がんなどでは、80~90歳以上でも手術を実施し、術後の抗がん剤やホルモン剤の投与を慎重に判断します。一方で、消化器がんなど負担の大きな手術を実施するか否かは、より慎重に判断することになります。

■治療に耐えられるか否かは、どこを考慮?

 常に、治療による利益、不利益を判断します。治癒の可能性が高いと判断した場合、すでに確立されている標準治療が実施できるかを考えます。

 標準治療とは、患者さんが参加する臨床試験で、「他の治療法より有効性が高いこと」「治療効果などの利益が、副作用などの不利益を上回ること」などの科学的根拠が明らかにされた治療のことです。臨床試験は多くの場合、70歳代前半以下の患者さんを対象にしているため、75歳以上に関しては、科学的根拠は十分ではありません。そこで、担当医は、標準治療を念頭に、経験を踏まえて治療方針を定めます。集められるだけの臨床情報を駆使しても手術の実施に迷うような場合は、「Fファクター」で決めるという医師もいます。「F」は「face(顔)」の頭文字で、要は「顔つき」です。「立ち居振る舞い」も重要因子で、具体的には「自分の身の回りのことは自分でできるか」「同年齢の健康人と比べて同じように歩き、同じように階段を上れるか」「説明についての理解力は十分か」などがポイントとなります。

■不利益の方が大きいと判断した場合は?

 治療効果が劣ってもより負担が少ない治療法、例えば放射線治療など、高齢者でも比較的安全に受けられる治療法がないかを探します。がん病巣への治療が困難な場合には、がんによって引き起こされる症状を和らげ、穏やかに暮らせる期間をできるだけ長くする緩和ケアを選択する場合もあります。

■危険を覚悟で手術を行うこともある?

 治療をせずに放置すれば短期間で死に至る場合、あるいはQOL(生活の質)が著しく阻害される場合で、患者さんへの負担が少ない治療法があれば、本人や家族の意向を聞いた上で実施します。

 一例を挙げると、進行大腸がんによる大腸閉塞で便の通過障害を起こしている場合です。このままいけば、激しい腹痛が避けられず、大腸が穿孔してお腹の中に大量に便が出てしまうかもしれない。

 腹膜炎を起こし、非常に致死率が高くなる。治癒は望めなくても、通過障害を避ける手術は負担が少ないので、手術に踏み切る医師は少なくないでしょう。

高齢者のがん治療では全人的医療の視点が大切

■現在は元気でも、手術や入院後はどうなるかわからないのでは?

 経験豊富な医師であれば、手術や入院が患者さんにどのような影響を与えるか、ある程度予想できます。しかし、治療が順調にはいかず、患者に大きな負担がかかり、体調を崩してしまうケースもあります。全てが想定内で行われるとは限りません。積極的に治療を行うと決めたら、高齢者だからこそ、徹底的な準備が必要です。

 手術前であれば、持病の管理、禁煙・禁酒、口腔ケア、睡眠薬の調整など。また、治療前後にリハビリなどを積極的に行います。高齢者の手術では合併症が起こりやすいので、医療スタッフは万が一を想定した管理を行い、何か起こった時は速やかに発見し、治療に関わる全ての診療科が力を合わせて、対応します。

■患者側が積極的な治療を望んでいる場合、その医師は尊重される?

 治療方針の決定において、患者さんの意思はまず第一に尊重されなければなりません。後に詳しく述べますが、高齢者の場合、手術を終え帰宅後も家族などの負担が大きいと思います。そこで家族が治療方針を把握することが大切です。

 その上で医療者側が、患者さんや家族に治療に付随する危険性を丁寧に説明し、理解してもらうことが大切。高齢者は副作用や合併症が強く出やすい。手術創の回復も遅く、手術後、肺炎にかかりやすい。手術の危険度を増す病気を患っていることもよくあります。

 つまりは、治療によって逆に余命が短くなったり、残された期間をQOLが低下した状態で過ごさなければならない危険性が高いのです。そこで、高齢者のがん治療では、全人的医療の視点が大切です。

 それでも積極的な治療を希望するという患者さんの強い意思表示があり、「手術に耐えられる状態」「治療によって得る利益が大きい」といった要件を満たしていれば、医師は、さまざまな手法を工夫し、希望に沿えないかを検討します。

■がん治療で入院となると、フレイル(虚弱)のリスクも増す?

 高齢者は数日の入院で筋力などが20~30%低下し、立ち居振る舞いに支障を来たしたり、食事が困難になったりすることがあります。また、がん治療後の体の回復は、元気な時よりも遅れます。積極的な手を打たなければフレイルのリスクが増します。

 そのため治療前後のリハビリテーションや口腔ケアなどフレイルを防ぐ処置を積極的に行い、回復を早める手だてを取ります。

 認知機能の低下やせん妄状態もがん治療を契機に起こるリスクがあり、その対策も重要な課題です。

■高齢であることをあまり意識せずに受けられる治療法はある?

 胃がん、大腸がん、食道がんといった消化管の早期がんに対する内視鏡治療や腹腔鏡下手術、照射可能な部位のがんで完治を目指す放射線治療などです。これらは、従来の方法よりは負担が少なく、高齢者でも治療に耐えることができます。

がん検診は何歳まで受けるべき?

■高齢者のがんは若い人より進行が遅い?

 ケース・バイ・ケースです。がんが発生し、診断されるまで10~20年かかっています。高齢者で発見されるがんは、時間をかけてゆっくり育っているので比較的悪性度が低く、進行も遅いと言えるかもしれません。

 一方で、がんは遺伝子にできた傷が原因で起こるので、年を取るに従い、遺伝子の傷は多くなります。長い過程で重要な遺伝子に傷が生じれば、年齢には関係なく悪性度の高いがんが出現します。実際、高齢者であっても進行が速いケースをよく経験しています。

■がん検診は何歳まで受けるべき?

 現在、がん検診に年齢制限はありません。ただし、利益・不利益の考えに基づき、一定の年齢以上のがん検診は積極的に実施しなくてよいとする意見はあります。けれども、がん罹患者の4割が75歳以上であることを考えると、高齢者の検診を制限することは当面、考えにくいと思います。

■国が推奨するがん検診は、胃がん、子宮頚がん、肺がん、乳がん、大腸がん。高齢という「がんのリスクが高い世代」ではPETなどそれ以外のがんの検診も受けるべき?

 がん検診には、対策型検診と任意型検診があります。市町村や職場でのがん検診は対策型検診。受検者集団で当該がんの死亡率が低下する科学的根拠がある場合、公共政策として実施されます。高齢男性に多い前立腺がんの検診は、対策型検診として9割近くの市町村で実施されています。しかし、科学的根拠が不十分で、対策型検診としての実施には否定的な意見が大勢を占めています。

 任意型検診の代表は人間ドックで、受検者の希望に応じて実施されます。年齢に関係なく、受検者の希望によります。

 PETについては対策型検診に用いて良しとする科学的根拠はありません。当初全てのがんを発見できると喧伝されましたが、実際は消化管の早期がんには効果が弱く、全体で見てもがんの検出率は3割程度。他の検診と一緒に実施する必要があります。

■治療によっては家族の負担が増すことも?

 高齢者はがん治療に伴う体力の低下が著しく、入院中でも自宅でも、歩行中の転倒、ベッドからの転落などへの注意が必要です。薬剤の効果も不安定。常用していた強力な睡眠薬を入院や治療後に服用するとせん妄状態に陥りやすくなります。

 入院中、高齢者でなければ家族はお見舞いで済む場合でも、高齢者では、病院の要望に応じ、家族が付き添わなければならないこともあります。

 体力の低下から治療後、寝たきりや認知症になるリスクも高まります。退院後、帰宅しても、治療前のような生活ができなくなることもあります。

(C)PIXTA
家族の立場から

■老親の退院後、どのような体制を整えておくべき?

 状況によって自立が困難な場合には、地域の診療所や訪問看護ステーションに連絡し、日常的な診療・看護を確保することが望ましいでしょう。治療を受けた病院が遠く、緊急時の対応が難しい場合は、地域の医療機関に頼る必要があります。

 家族だけで対応しきれないようなら、治療を受けた病院のソーシャルワーカーなどに相談するのがいいでしょう。

 その紹介で、患者さんの居住地の地域包括支援センターやケアマネジャーに相談し、必要に応じて、介護保険を利用するための手続きを検討することもできます。

■老親が具合が悪そうなのに病院に行こうとしない。どうすれば?

 手術を受けて退院した場合や、外来で放射線治療や抗がん剤治療を受けている場合は、病院から副作用や合併症の説明がなされ、対処法について患者さん本人に指導しているはずです。このような内容を家族が共有せねばなりません。患者さんが電話できないようであれば、家族が電話をし、病院の指示を仰いでください。

 抗がん剤など薬物療法では個々の副作用の重さ、軽さについてレベルが定められており、医療スタッフは患者さんの症状に応じてレベルを判断し、必要な指示をするはずです。

 それ以外でも、病状が重そうなら、必ず医療スタッフへ連絡をしてください。医療スタッフは、「自宅で必要な処置をする」「翌日、一般外来を受診する」「速やかに救急外来を受診する」「救急車を要請する」などの対処法を指示してくれるでしょう。

■老親は納得しているけれど、家族は治療方針に納得できない場合は?

 患者さんが担当医の説明を受け、しっかりと治療方針を理解し、納得しているなら患者さんの意向を尊重してください。

 しかし、家族が患者さんの話をよくよく聞くと、治療方針をあまり理解していない、あるいは「先生に悪いから」と担当医への遠慮で承諾している……といった場合もあるでしょう。患者さんが理解していないようなら、よく話し合い、家族同伴で担当医に確認を。

 必要に応じて、セカンドオピニオンを求めるという手段もあります。

 患者さんの命にも関わることなので、納得のためにも勇気を持って要望してください。ただし、セカンドオピニオンの際は、民間療法中心の医療機関は避けてください。

■たくさんのがん患者に接してきた山口医師から一言

「医学は科学、医療は物語」という言葉を大切にしています。「患者さんは良い治療があればそれを求めるが、治療が尽きた時には本人や家族にとって悔いがないよう思いを語り、物語を紡ぎ、最期を迎える準備をする。医療スタッフはたとえ、その思いが科学的でなくても協力して欲しい」という意味です。

 この3月に94歳の母親を静岡がんセンターの緩和ケア病棟で看取りました。スタッフの協力を得て、良い看取りができました。

 特に、最後まで「家族の一員という居場所」があり、俳句集を出すという「生きがい」を持てたことが良かったと思っています。

 がんに限らず、高齢者が最後までQOLを保つのに重要なのが、居場所と役割です。これらをなくしてしまうと、本人は寂しく旅立ち、家族も、後悔しながら最期を看取るという状況が生まれてしまいます。

 がん患者というと、がん病巣にばかり目が行きがちですが、それ以前に一人の人間です。余命に限りがあっても、ご家族や周囲の人々が心をしっかり支えることで心豊かな死を迎えることができると思います。

山口建

山口建

慶応義塾大学医学部卒。国立がんセンター(現・国立がん研究センター)に勤務。内分泌部、細胞増殖因子研究部の部長などを歴任。1999年、同センター研究所の副所長、宮内庁の御用掛を兼務。静岡県立静岡がんセンターの設立に携わり、2002年、初代総長に就任し、現在に至る。著書に「親ががんになったら読む本」(主婦の友社)など。

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