メガネを語る

メガネは江戸時代初期に大量に輸入されていた 1637年には3万超も

家康も愛用した
家康も愛用した

 イエズス会宣教師であるフランシスコ・ザビエルが布教のため、西国の有力大名・大内義隆にメガネを献上したのが1551年。それ以降、メガネはどのように日本に普及したのでしょうか?

 ザビエルの成功によりイエズス会をはじめとした宣教師やポルトガルの商人たちは2つのことを学びます。ひとつは日本の習慣として高貴な人を訪問するときは身分相応の贈り物が必要であること、もうひとつがメガネの贈り物を日本人が喜ぶことです。そのため、大名や領主などと接触するときは、琥珀織の敷布団、帽子、砂時計、ビードロ、瓶入り金平糖、砂糖漬けなどと共にメガネを贈ったようです。

 こうして、日本のごく限られた支配階層に普及したメガネですが、ザビエルが日本に初めてメガネを持ち込んで85年目にあたる1636年には、鼻眼鏡1万9435個、翌1637年には3万8421個も輸入されています。1638年には405個と激減していますが、これはポルトガル船の来航が全面禁止となる鎖国令(1639年)が出される直前だったからかもしれません。これらはポルトガル船によって日本に輸入されたものです。

 しかし、ポルトガル側の資料は残っておらず、ポルトガルのライバルであるオランダの「平戸オランダ商館の日記」に書かれています。

 それ以前でいえば、「イギリス商館長日記」や「長崎オランダ商館の日記」などにもメガネの記述があるようです。

 いずれにせよ、その数の多さから考えると、江戸時代初期には幕府の高級官僚だけでなく、ある程度の富裕層にメガネが普及していたと考えるのが自然でしょう。

(メガネウオッチャー・榎本卓生)

関連記事