上皇の執刀医「心臓病はここまで治せる」

近年注目の心不全に対する緩和ケアはQOLの維持と向上を図る

天野篤氏
天野篤氏(C)日刊ゲンダイ

 近年、心臓疾患の領域で「緩和ケア」がクローズアップされています。これまで、日本における緩和ケアはがん患者を対象に発展してきたことから、心臓疾患に対しては十分な体制が整ってはいませんでした。

 WHO(世界保健機関)は緩和ケアを「生命を脅かす疾患による問題に直面している患者さんとその家族に対して、痛みやその他の身体的問題、心理社会的問題、スピリチュアルな問題を早期に発見し、的確なアセスメントと対処を行うことによって苦しみを予防し、和らげることで、QOL(生活の質)を改善するアプローチ」と定義していて、対象はがんだけではありません。高齢化が加速する日本では心臓疾患、とりわけ「心不全」の患者さんが急増していて、今後はますます増えると予想されています。そのため、国は2018年から心不全を緩和ケアの対象疾患とする方針を打ち出したのです。

 これまで何度かお話ししたように、心不全は単一の病名ではなく、心臓の働き=ポンプ機能が徐々に低下し、全身に十分な血液を送り出せなくなった病態を指します。息切れやむくみといった症状が現れ、そのまま放置して慢性心不全になると、良くなったり悪くなったりを繰り返しながらだんだんと心機能が低下していき、命を縮めます。 心不全を起こす原因は、心筋梗塞や狭心症などの虚血性心疾患、心臓弁膜症、心筋症、心房細動などの不整脈といった心臓疾患の多くが該当し、難治性に至るタイミングの予測が困難です。また、悪化して末期になると根治させる決定的な治療法はなく、呼吸困難、倦怠感、痛みといったさまざまな苦痛症状が起こります。そのため、心不全に対する緩和ケアが求められていました。ここにきて、そのスタートラインに立ったといえるでしょう。

 緩和ケアというと、治療をあきらめて“看取り”を待つために受けるものといったイメージを抱く人が多いのですが、そうではありません。

 心不全の場合、原因になっている疾患に対する治療が苦痛症状の緩和につながるケースも多いので、患者さんや家族の希望に沿って可能な限り治療を継続しながら、生命予後の改善だけではなく、QOLの維持と向上を図ります。さらに、病状が悪化した時にどんな治療やケアを受けたいのか、たとえば心停止した時は蘇生のための処置を行うかどうかをはじめ、終末期には生命維持機器の停止を行うかといった今後の方針を、患者さん、家族、医療従事者、介護従事者らで相談しておく「アドバンス・ケア・プランニング」を実施することも重視されています。多面的なアプローチにより、患者さんの身体的、精神的、社会的な苦痛を緩和し、QOLを向上させるのです。

■まだエビデンスは少ない

 心不全も含めた心臓疾患で緩和ケアの対象になるのは、主にそれぞれの疾患に対する治療ガイドラインにおける標準治療の適用から外れてしまった患者さんです。疾患によってさまざまですが、たとえば病状が極めて進行した80歳以上の高齢者であるとか、これまで何度か手術を受けているとか、その患者さんの状況や病状から、手術やカテーテル治療などの標準治療を受けても、かえってリスクのほうが上回ってしまうケースで検討されるのが一般的です。

 とはいえ、心不全に対する緩和ケアはまだ始まったばかりで、体制がしっかり整備されているとはいえません。末期の心不全の患者さんのQOL維持に対して、どのような医療やケアが有効かのエビデンス(科学的根拠)も少ないため、具体的にどのようなケアが行われるかははっきり決まっているわけではないのが現状です。

 一般的に医療機関の緩和ケア病棟はがんかHIVの患者さんに限定されているので、心不全の患者さんは在宅で緩和ケアを受けるケースがほとんどです。訪問した医師は病状を診ながら酸素呼吸器を使うかどうかやペースメーカーなどの医療機器がきちんと作動しているかの確認をしたり、患者さんや家族の不安などを聞いて対応したり、きちんと食事や睡眠が取れるような処置や指導をしたり、日常での体の動かし方などを指導するといったケアを行います。鎮痛剤などの医療用麻薬が使われるケースもありますが、用量や使用法が厳密で重い管理責任が問われるため、多く使われているわけではありません。それでも、しっかり心不全を管理すれば、緩和ケアでもかなり長期にQOLを維持できるケースも報告されています。

 もともと心臓疾患に対する循環器医療は急性期の患者さんを診る医師が圧倒的に多いため、緩和ケアの対象になる慢性期や終末期を診る医師はまだまだ少ない状況です。そのため、これまでいわゆる緩和ケアを担当してきた在宅診療の医師が心不全の患者さんも診ているケースが多く、その場合、フレイルやサルコペニアなどを主たる病態として、心臓については二の次になってしまうことも少なくありません。

 冒頭でもお話ししたように、今後は心不全の患者さんがますます増えるのは間違いありません。ですから、心臓疾患に対する緩和ケアは社会問題のひとつとして考えていく必要があるでしょう。次回もお話を続けます。

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天野篤

天野篤

1955年、埼玉県蓮田市生まれ。日本大学医学部卒業後、亀田総合病院(千葉県鴨川市)や新東京病院(千葉県松戸市)などで数多くの手術症例を重ね、02年に現職に就任。これまでに執刀した手術は6500例を超え、98%以上の成功率を収めている。12年2月、東京大学と順天堂大の合同チームで天皇陛下の冠動脈バイパス手術を執刀した。近著に「天職」(プレジデント社)、「100年を生きる 心臓との付き合い方」(講談社ビーシー)、「若さは心臓から築く 新型コロナ時代の100年人生の迎え方」(講談社ビーシー)がある。

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