がんと向き合い生きていく

病理解剖によって初めて明らかになることがたくさんある

剖検によって明らかになることはたくさんある
剖検によって明らかになることはたくさんある

 ある日、亡くなった患者の病理解剖(剖検)を行っている時のM先生の言葉です。

「血液のがん以外では、脾臓にがんが転移していることは少ない。この患者のがんは、脾臓にも転移が来ている。進行が激しいがんだな」

 患者が亡くなると、私たちは、ご家族の方に病理解剖をお願いしました。

「解剖することによって、私たちには分からなかったことが明らかになります。次の同じ病気の患者に生かせることがあります。ご遺体をこのまま焼いてしまう前に、お願いできないでしょうか? もちろん、無理にとは申しません」

 中には、ご家族の方から「亡くなった父は、大変お世話になったのだから、先生から解剖を頼まれたら了解するようにと言っていました。どうぞ、よろしくお願いいたします」と言っていただけることもありました。

 了解が得られると、私たちはさっそく病理科に連絡します。病理科では医師同士で当番を決めてあり、当時は夜中でも剖検しました。

 部長のM先生は、とても熱心な医師でした。普段は1時間半くらいで終わるのですが、M先生が当番で担当されると最低でも2時間以上を要しました。M先生は目を輝かせ、しっかり説明しながら剖検してくださいました。臨床病理医として超一流であったと思います。

 ご家族は、ご遺体が戻ってくるのを待ち、そして剖検の結果を聞き、死亡診断書をもらって、それから一緒に帰られました。

■病理の先生から多くを教わった

 M先生は、普段は厳しく、とても怖い先生でもありました。ある時、外来でリンパ節生検が行われ、採取したリンパ節をガーゼに包んで病理科に持参すると、一目見たM先生は「このリンパ節生検は誰がやったのか? 生検の仕方が悪い」と怒りました。

 月1回、大会議室で臨床医を集めての病理科カンファレンスがありました。先に担当医から臨床経過が報告され、その後、病理科から剖検結果の報告があります。そのカンファレンスでM先生が怒り出すと、睨まれた若い医師たちはかわいそうでした。

 私は、進行したがん患者を担当していたので、剖検をお願いすることが一番多かったと思います。幸いM先生には睨まれることなく、たくさん教わりました。特にがん病巣の説明は、丁寧に丁寧に教えてくださいました。「好きこそものの上手なれ」という言葉がありますが、M先生は病理学が大好きだったのだと思います。

 M先生は、いろいろなことについて理不尽と考えた時は、事務長、院長、副院長らにも遠慮なく公然と叱りました。おそらく、もうこのような先生が出ることはないのではと思います。

 M先生は、お酒が好きでした。そして、飲んだ時はよく絵画の話をされました。私にはよく分かりませんが、実際にその絵を前にしているように、目を輝かせて話されるのです。話を聞いていると、何か眼力のようなものを感じました。病理の仕事に通じるのか、とても楽しそうに話されました。

 近年は画像診断技術が進歩し、剖検しなくともほとんど画像診断で分かると話される方がいますが、まだそこまでは進んではいません。剖検させていただいて、そこで初めて分かることはたくさんあります。生前の画像診断では、すべて分かるところまで進んでいるとは言えないのです。

 日本内科学会においては、医師の認定教育施設の基準に年間の剖検数が挙げられています。直接の死因はがんなのか、そうではないのか、病気はどこまで広がっていたのか、治療の効果はあったのか……剖検によって明らかになることはたくさんあるのです。

 いま遺伝子診断が注目されていますが、剖検による肉眼、顕微鏡診断は臨床医学の進歩に大切な役割を果たしているのです。

佐々木常雄

佐々木常雄

東京都立駒込病院名誉院長。専門はがん化学療法・腫瘍内科学。1945年、山形県天童市生まれ。弘前大学医学部卒。青森県立中央病院から国立がんセンター(当時)を経て、75年から都立駒込病院化学療法科に勤務。08年から12年まで同院長。がん専門医として、2万人以上に抗がん剤治療を行い、2000人以上の最期をみとってきた。日本癌治療学会名誉会員、日本胃癌学会特別会員、癌と化学療法編集顧問などを務める。

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