独白 愉快な“病人”たち

白血病と闘うフリーアナの小澤由実さん「あと数か月放置していたら…」

フリーアナウンサーの小澤由実さん
フリーアナウンサーの小澤由実さん(C)日刊ゲンダイ
小澤由実さん(フリーアナウンサー/44歳)=急性リンパ性白血病

「私が? 白血病? いやいや、そんなわけない」

 そう思いました。その時点ではまだ、近所のクリニックを受診しただけだったので「血液の病気の可能性があります。たとえば悪性リンパ腫や白血病……」と言われても、きっと大きな病院で検査をしたら「違いました」ってことになるんだろうなと楽観していたのです。

 受診したのは去年4月、きっかけは発熱でした。3日に1度、夕方になると37度台の微熱が出て、翌日はケロッと治るという状態が1カ月ぐらい続いたあと、発熱が2日に1回になり、さらに連日38度台まで上がるようになりました。駅の階段でゼイゼイしてしまうし、「これはおかしいな」と思ってクリニックに行ったのです。

 そこから大学病院を紹介され、採血、CT、レントゲンに加え骨髄検査もした結果、「白血病」と診断されて翌日入院となりました。これは後から聞いた話ですが、あと数カ月放置していたら命が危なかったらしいです。

 入院期間が6カ月(一時退院を挟みながら)必要と言われた瞬間、自分のことよりもまず子供たちのことと、仕事のことが頭をめぐりました。自宅に帰ってさっそく家族会議です。中2と小4の娘に「母は病気になりました」と切り出し、「入院でしばらく会えない」と打ち明けたとき、下の子は泣き出し、上の子はグッと我慢の表情でした。そんな子供たちをそこそこに自分は2階に上がって、仕事の関係者にあちこち電話。夫の話ではその間に上の子も泣いていたそうです。

 連絡が一通り終わると、次は掃除と片付け。そして、家族にあてた「○○は△△してね」といった指示の張り紙をあちこちに貼りまくって、深夜にやっと入院の荷造りをしました。

 バタバタの一日でしたが、寝る前に、わぁ~とこみ上げてくるものがあり「死」を意識したのか涙があふれ怖くなりました。「まだやりたいことがあったのになぁ」と落ち込んで……。でも、感傷に浸ったのはそのときぐらいで、すぐに「私は大丈夫だ、治る」という根拠のない自信が出てきたんです。「治った暁には、この経験を人に伝えよう」と、まだ治療も始まってないのに、全国講演することを考えていました(笑)。

「急性リンパ性白血病」とわかったのは入院してからです。治療の基本は抗がん剤による化学治療でした。最初は「寛解導入療法」といって、1カ月半ほどかけて点滴による強い抗がん剤で一気にがん細胞を叩く治療をしました。いきなり副作用の吐き気に襲われたものの、「まだ序盤だから」と限界まで我慢しました。

 でも、そこまで我慢してしまうと、吐き気止めの薬を入れても効きにくくなると知り、以後は早め早めの吐き気止めを心がけ、強い吐き気はほとんどありませんでした。とはいえ胃がムカムカして食欲が落ち、体重は4~5キロ減りました。

 幸いだったのは、この寛解導入療法が終わったときに骨髄検査とMRD(微小残存病変)検査の両方が陰性判定だったことです。

 もし、どちらかが陽性なら骨髄移植に向けた治療が必要になると聞きました。でもおかげさまで、私はこの時点で「寛解」となったのです。

■来年5月まで抗がん剤治療が続く

 さらにここから入退院を繰り返しながら5カ月かけて「地固め療法」をしました。1カ月1コースで、薬を替えながら全5コース行う化学療法です。1コース終わるごとに骨髄検査をし、異常がないかを調べながら、5コース終わるといよいよ「維持療法」になります。現在、私はこの段階です。

 抗がん剤を毎日内服するとともに、月1回通院して点滴で抗がん剤を打っていまして、これが来年の5月まで続く予定です。現状は手のひらと足の裏に少ししびれがある程度で生活に支障はありません。

 治療が順調な秘訣のひとつは、入院中も食べることと院内散歩を心がけたことだと思っています。正直、ムカムカして食べたくないときもあったけれど、必死で食べました。おかげさまで後半は太っちゃったんです(笑)。まめに歩くことを意識して、なるべく体力が落ちないように気を付けていました。うがいを1日10回くらいして、口内炎ができなかったことも十分に食事ができた要因だと思います。

 コロナ禍で家族に会えませんでしたが、窓から下の駐車場にいる家族に手を振ったのは1回だけでした。意外とみんな慣れてくるんでしょうね。当初、泣いてた子供たちも、うるさい母親がいなくてのびのびしていたみたい(笑)。私も家事から解放されてのびのびしていました(笑)。

 大変だったのは家事に育児に仕事にと奔走した夫だと思います。血液検査の結果に、私以上に一喜一憂していたことが忘れられません。義理の母や実姉に食事面で助けてもらったことも大きかった。実家(京都)の母も頻繁に食品を送ってくれました。周りの人の支えなしではここまで順調に退院できなかったので、みんなに心から感謝しています。

 また、レギュラーを務めるラジオ局の方に「待ってるよ」と言われたことも、治療に前向きになれた原動力でした。目標を持つことは患者にとって大事だと思いました。

 感謝といえば、じつは入院治療中に約20回も輸血を受けました。改めて献血の重要性を実感しました。私は輸血を受けたので、もう献血ができませんが、献血への協力は呼びかけていきたいと思います。

(聞き手=松永詠美子)

▽小澤由実(おざわ・ゆみ) 京都府出身。上智大学文学部英文学科卒業。NHK京都・さいたま放送局のキャスターを経て、フリーとなりイベントの司会やトークショーなどで活躍。現在、ラジオREDS WAVE「つながるさいたま」でパーソナリティーを務める。「話し方」や闘病経験をもとにした講演活動にも力を入れている。



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