上皇の執刀医「心臓病はここまで治せる」

大動脈の手術では予定になかった処置を実施するケースがある

天野篤氏
天野篤氏(C)日刊ゲンダイ

 以前、大動脈弁狭窄症の手術を行っている最中、上行大動脈の中にあるプラークと、その下にできた血腫を見つけ、それらを取り除く処置を行ったケースをお話ししました。そのまま放置していたら、いずれ大動脈解離を起こして突然死するリスクがあるためです。

 このような当初の予定になかった処置を術中に実施するケースは頻繁に経験するわけではありませんが、患者さんの年齢や病変の状態によって、術前の想定よりもバイパスの本数を増やしたり、瘤の切除範囲を広げるなどの追加処置を行う場合があります。とくに動脈瘤や大動脈解離といった大動脈の病気では、中途半端に処置を終わらせると術後に不具合が出て再手術となってしまうため、手術中に血管に異常がある部分を自分の目で確認できれば、予定より長めに血管を切除するのです。

 動脈瘤や大動脈解離の手術では、一定の大きさの瘤があったり、裂けてしまった血管を切除し、人工血管と取り換える処置を行います。その際に使う人工血管は人工物なので、自身の血管に比べると、生体への適合性はどうしても劣ります。

 人工血管の生体に対する適合性=フィッティングに関する研究データは、あくまでも正常な組織に縫い付けた場合のデータです。また、人工血管を異常がある血管(組織)と縫い付けたときに、それが正常な部分に縫い付けた場合と変わらないという科学的な証明もされていません。一方で、異常がある組織に人工血管を縫い付けた場合、後になってその部分に新たな動脈瘤ができたり、後遺症が現れたり、縫い付けた部分がトラブルのもとになって突然死を招いたといった症例が報告されています。

 ですから、大動脈の手術を行う際は、異常な部分は残さないように切除して、正常な組織に人工血管を縫い付けます。ケース・バイ・ケースですが、完全にダメになってしまった部分にプラスして5センチくらい長めに切除したうえで、人工血管に取り換えます。これは、二期的手術と呼ばれる計画的な再手術を予定している場合でも、最初の手術が2度目の手術に影響を及ぼさないような形で処置できるため、同様に実施します。

■異常な組織に人工物は縫い付けない

 異常な組織は術前の画像検査でもわからないケースも少なくないので、手術中、実際に自分の目で見て判断します。たとえば大動脈解離ならほんの少し裂けた部分が残っていたり、動脈瘤であれば大動脈の中にプラークが残っているような部分や、プラークを取り除いて血管が薄くペラペラになっているような箇所は「異常」といえます。そうしたところに人工血管を縫い付けてしまうと、そのときは問題がなくても、後になってトラブルを招くリスクが高くなるのです。

 外科医の中には、そうした異常があってもそうとは判断できなかったり、判断できたとしてもさらなる切除による出血などのトラブルを怖がって躊躇する人が少なくありません。また、教科書的な最低限の処置さえしておけばいいだろうと中途半端な形で手術を終わらせてしまう医師もいます。すると、後になって“しっぺ返し”を食らう可能性が高くなります。

 心臓外科の領域で使われる人工血管や人工弁といった人工物をどのように使うのが患者さんにとっていちばんプラスになるのか。最近、これまで以上に深く考えるようになりました。というのも、ここ10年くらいの間に僧帽弁閉鎖不全症の手術をした患者さんの再手術を、2年で3例ほど実施したことがそのきっかけのひとつになっています。

 僧帽弁閉鎖不全症は心臓の収縮期に僧帽弁がきちんと閉じなくなる病気で、可能な限り自身の傷んだ弁を修復する弁形成術を行います。弁を修復した後は、リング(人工弁輪)を縫い付けて広がった弁輪を縮めるのですが、手術から数年後にそのリングに対して拒否反応が起こる患者さんが出てきました。弁形成そのものはうまくいって問題ないのですが、リングへの拒否反応によって今度は僧帽弁狭窄症を起こしてしまったのです。

 再手術では、縫い付けたリングを取り除いたうえ、弁の上部に乗った状態になっているかさぶたのような組織をしっかり取り除きます。すると、きれいに修復した弁に戻ります。ただ、医師がそうした術式があるということを知らなければ実施できません。その場合、今度は弁をすべて切除して丸ごと人工弁に置き換える手術が選択される可能性があります。そうなると、人工弁に対する拒否反応が起こってまた同じ状況を繰り返すリスクがあるのです。

 一般的な心臓外科手術で使われる人工血管や人工弁などの人工物は、「患部の異常な構造を取り除いて正常な箇所に設置したときに問題なく機能するか」という点でしか考慮されていません。だからこそ、人工物を使う際は、病変をできる限りきれいにして正常な状態に近づけてから設置することが重要だと、あらためて強く感じています。

■本コラム書籍化第2弾「若さは心臓から築く」(講談社ビーシー)発売中

天野篤

天野篤

1955年、埼玉県蓮田市生まれ。日本大学医学部卒業後、亀田総合病院(千葉県鴨川市)や新東京病院(千葉県松戸市)などで数多くの手術症例を重ね、02年に現職に就任。これまでに執刀した手術は6500例を超え、98%以上の成功率を収めている。12年2月、東京大学と順天堂大の合同チームで天皇陛下の冠動脈バイパス手術を執刀した。近著に「天職」(プレジデント社)、「100年を生きる 心臓との付き合い方」(講談社ビーシー)、「若さは心臓から築く 新型コロナ時代の100年人生の迎え方」(講談社ビーシー)がある。

関連記事