がんと向き合い生きていく

「治った~」という掛け声とともに患者たちとの体操が始まった

佐々木常雄氏
佐々木常雄氏(C)日刊ゲンダイ

 私と同級だったO君は、大学に入学して間もなく休学しました。当時、三浦綾子さんの「氷点」が1000万円懸賞小説に入選し、映画にもなるなど大きな話題となっていて、O君の休学は懸賞小説を書くためではないかというウワサもありました。

 結局、本当の休学理由は分かりませんでしたが、その休学の結果、彼は2学年分の同級生に恵まれたのでした。卒業後、われわれの同級会から声がかかる、1回下の同級会にも出席できる。つまり、休学で彼は親しい友人をたくさん得られたはずです。

 O君は外科系を専門とし、ある病院に18年間勤務しました。その間、新しい撮影装置を開発し、その結果を外国の学会で何回も発表し、学会から表彰されたそうです。その後、出身地のY市でO医院を開業しました。MRIやヘリカルCTを導入して4~5次元からの画像診断を行い、手術や入院が必要な場合は直ちに近くの病院に紹介し、緊急手術等の治療ができたと聞きました。

 数年前、O君の要請でY市に講演に出かけた時のことです。O医院の近くのホテルに宿泊した私は、翌朝6時にはO医院に来るように言われましたが、10分ほど前に本人が迎えに来てくれました。早朝に合流した目的は朝の体操でした。

 O医院の2階は畳の部屋になっていて、すでにご近所の方と思われる30人ほどの老若男女が集まっていました。すぐにO君の掛け声で体操が始まります。そしてよくよく聞いてみると、「治った~」「治った~」という掛け声なのです。

 私は一緒に体操に従いましたが、「治った~」には驚きました。集まった方々から、O君はとても信頼されていると感じました。

■こころも体も考える「全人的医療」を実践

 畳の部屋には、帯津三敬病院の帯津良一先生が書かれた額があったと記憶しています。帯津先生は、駒込病院の食道外科で活躍された後、川越市で開業されました。病院勤務時代から、夕方になると道着に着替え、数人で太極拳の訓練をされていました。

 開業後は、帯津三敬病院の玄関のわきに道場を造り、太極拳を続けておられました。奥さまも一緒に訓練され、たしか体操教室のテレビ番組にも出演しておられたと思います。しかしある時、奥さまが急逝されました。当時の新聞では、帯津良一先生のコメントが「あの世で、また会えるから、悲しくありません」と答えていたと思います。さすが帯津先生だと思いました。私が所持しているモンゴルの大草原に立つ先生の写真を見ると、先生の心の広さを思わされます。

 帯津先生が最近書かれている記事では、「ホリスティック医学では、自然治癒力を癒しの原点におき、患者自らが癒し、治療者は援助すると考えます。巷では、何かによって(癒される)ものと受け身の捉え方をしがちのようですが、癒しとは、自然治癒力を原点に、(自らを癒す)ものであることを忘れないでください」とありました。

 2019年に「心身養生のコツ」を出版された神田橋條治先生は、「ボクのライフワークである養生の世界が完成しました。これで終着点かと思います」と付箋に書いて送ってくれました。本の項目には、たとえば「症状の中に自然治癒力の働きを見つける」「こころの養生法」などがあります。神田橋先生は精神科医で、心理学領域において日本でたくさんのファンがおられます。まだ、お会いしたことはありませんが、ここ数年、新しい本を上梓されると送っていただきました。

 今や、各臓器、各領域……専門、専門に分かれての診療や論文が多い時代ですが、ここで挙げた3人の医師は、こころも体も一緒に全体で考える、やり方は違っても「全人的医療」を実践されたのだと思いました。

 直接、がんの治療法に関わるというわけではありませんが、とても参考になるのではないかと思うのです。

佐々木常雄

佐々木常雄

東京都立駒込病院名誉院長。専門はがん化学療法・腫瘍内科学。1945年、山形県天童市生まれ。弘前大学医学部卒。青森県立中央病院から国立がんセンター(当時)を経て、75年から都立駒込病院化学療法科に勤務。08年から12年まで同院長。がん専門医として、2万人以上に抗がん剤治療を行い、2000人以上の最期をみとってきた。日本癌治療学会名誉会員、日本胃癌学会特別会員、癌と化学療法編集顧問などを務める。

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