上皇の執刀医「心臓病はここまで治せる」

「腰痛」の背後に命に関わる心臓病が隠れているケースがある

天野篤氏
天野篤氏(C)日刊ゲンダイ

 年をとって「腰痛」がひどくなった……そんな高齢の方がたくさんいらっしゃるのではないでしょうか。高齢になると骨や筋肉が衰えて体を支えきれなくなったり、加齢とともに関節の軟骨がすり減るなどして、腰の関節に痛みが生じるケースは少なくありません。そうした高齢者の腰痛は、変形性脊椎症、脊柱管狭窄症、圧迫骨折などを起こしているケースが多く、慢性的な痛みがある人がほとんどです。しかし、ある日突然、腰にこれまで経験したことがないような激痛が生じた場合、命に関わる心臓トラブルのひとつである「大動脈解離」を発症している危険があります。

 大動脈解離とは、前触れなく血管が裂けて解離し、1度目の発症で突然死する危険がある病気です。とりわけ、心臓に近い上行大動脈が裂けた場合、発症から1時間あたり1~2%の致死率で症状が進み、発症して24時間以内の死亡率は90%を超えるというデータもあります。ですから、できる限り早く緊急手術を行うことが重要です。

 大動脈解離の初期症状は激痛が走るケースが多く、患者さんはよく「体を引き裂かれたような痛み」と訴えます。最初に解離した血管の位置によって痛みが発生する場所は変わり、心臓に近い血管が裂けた場合は胸、胸部の大動脈なら背中、腹部の大動脈なら腰に激痛が現れます。ただ、血管の解離は裂けた位置から血流に沿って進行していくので、最初に心臓の近くの血管が裂けたとしても、胸↓背中↓腹部↓腰と痛みが移動し、解離の進行とともに腰痛が生じます。

 また、発症後に痛みに反応した高血圧が続くと、背中側で裂けた大動脈内の口から血流と反対の心臓側へ裂け目が拡大する逆行性解離を生じるケースもあります。この状態から心臓周囲に血液が染み出して、心タンポナーデによる突然死を招くこともあります。一見、心臓と関係ないように思われる腰痛が、致死的な心臓病のサインになるケースがあるのです。

■「これまで経験したことがない激痛」に注意

 普段から慢性的な腰痛を抱えていたり、以前に急な腰痛が起こって「ぎっくり腰」と診断されたときと同じような痛みや状況であれば、背後に大動脈解離などの致死的な心臓病が隠れている可能性は極めて低いといえます。しかし、これまで経験したことがないような激痛が走ったら、躊躇せずに救急車を呼んでください。とりわけ、高血圧などの生活習慣病を抱えている人は大動脈解離を起こすリスクが高くなるので注意が必要です。

 前述したように心臓に近い位置の血管が解離しているケースでは緊急手術が必要で、基本的には裂けた血管を切除して人工血管に取り換える人工血管置換術を行います。また、脊椎の左側を下方向に走行している下行大動脈が解離を起こしている場合は、なるべく手を付けない保存的な治療か、近年は血管内にステントを入れる治療が実施されています。

 ただし、こうした一刻を争うような致死的な心臓病の診断と治療は、一定の経験や技術、医療安全レベルが高い医療機関でなければ行えない可能性があります。痛みが生じた状況、痛みの程度、痛みの位置や推移などから致死的な心臓病が原因になっていることを疑い、CTやMRIなどの画像診断を実施して、きちんと鑑別診断できる医師でなければ十分な治療は望めないといえるでしょう。実際、過去の医療裁判事例を見ると、腰痛を訴えて搬送された患者さんに対して画像診断を実施せず、大動脈解離を見逃して結局は死亡させてしまった、といった報告がいくつもあります。

 以前は、画像診断機器の精度が不十分だったこともあり、腰痛などの痛みの背後に隠れている致死的な心臓病を見逃してしまうケースも多少はありえる環境だったと言えなくもありません。しかし、いまはCTやMRIが進化して精度も格段にアップしているので、「あのとき、画像診断をやっておけば……」といった状況を招くのは医療安全上でも許されません。つまり、そうした意識が徹底されている医療機関で診断・治療を受けることが、痛みの背後にある致死的な心臓病から命を守るためには必要なのです。

 とはいえ、大動脈解離は前触れなく激痛が走って発症するため、患者さんが自ら医療機関を選んで受診する余裕はないでしょう。となると、万が一の事態に備えて対策を講じておくのが賢いといえます。まずは、大動脈解離などの致死的な心臓病に緊急対応できる安全レベルの高い医療機関をチョイスしてメモに控えるなどしてまとめておきます。そして、万が一、これまで経験したことがないような激痛を発症した場合、救急車を呼んで駆け付けた救急隊員にメモを見せ、搬送先の医療機関を選別してもらうのです。

 さらに万全な準備として、ほかの病気になった際に候補として挙げた医療機関を受診して事前に診察券を作り、いざというときにスムーズに搬送してもらいやすくなるようにしておくのも“生活の知恵”といえるかもしれません。

 ちなみに東京都では、2010年から「急性大動脈スーパーネットワーク」が運用されていて、急性大動脈解離の治療に実績のある病院に効率的に搬送できる体制が整備されています。腰や背中に大動脈解離が疑われる激痛が起こった場合、救急隊員にしっかり症状を伝えることにより、救急救命士の資格を持つ救急隊員であれば、一般的には尿管結石発作や急性腹症と鑑別する問診を参考にしつつ、大動脈解離の適切な治療を受けられる医療機関をすぐに探して搬送してくれます。日頃から、持病やその自覚症状についてのメモを控えていると、的確な搬送の参考になるので心掛けてみてください。

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天野篤

天野篤

1955年、埼玉県蓮田市生まれ。日本大学医学部卒業後、亀田総合病院(千葉県鴨川市)や新東京病院(千葉県松戸市)などで数多くの手術症例を重ね、02年に現職に就任。これまでに執刀した手術は6500例を超え、98%以上の成功率を収めている。12年2月、東京大学と順天堂大の合同チームで天皇陛下の冠動脈バイパス手術を執刀した。近著に「天職」(プレジデント社)、「100年を生きる 心臓との付き合い方」(講談社ビーシー)、「若さは心臓から築く 新型コロナ時代の100年人生の迎え方」(講談社ビーシー)がある。

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