数字で示される余命は、自分に当てはまるかどうかわかりません。そのデータはあなた自身の人生から導き出されたものではなく、あなたに似た患者を集計して求められたものである上に、そのまた平均的な数字に過ぎないからです。
そういう意味で、「そんな他人のデータが当てになるか」というのは至極もっともな意見です。余命についてのデータは、「あなた自身の将来を個別に予想しているわけではない」「自分がどうなるのか、他人のデータを見てもわかるわけではない」ということは繰り返し強調したほうがいい、重要な事実だと思います。
「あなたの余命は平均1カ月だ」と言われても、1カ月後に、自分は死んでいるか生きているかのどちらかで、50%生きているというようなことはありません。確率という数字は、集団に対して適用できても、個人個人には適用不可能な面があります。そのため、数字で余命を説明し始めると、それがどんなに詳しい説明であっても、個人個人にはどうにも受け入れられないという状況をつくります。
「私が知りたいのはそんな集団の確率じゃない。私自身がどうなっているかだ」
そういう気持ちにさせられます。
そんな背景から、最近では余命告知を数字では行わないという医師も増えています。
「あなたの余命は、あなたとは違う患者の平均では5カ月ですが、あなた自身は5カ月後には生きているか死んでいるかのどちらかです。どちらの可能性もあるのなら、生きているほうに希望を持って、まずは今やれることをしていきましょう」
そんな感じでしょうか。
医療数字のカラクリ