医療数字のカラクリ

余命宣告を受けた後の生き方

 前回、「明日は生きているか死んでいるかのどちらかだ」などと書きましたが、現実はそう単純ではありません。

 同じ生きているといっても、普通に生活できている場合もあれば、ほとんどベッドで寝たきりということもあります。

 死んでいるということも、死ねばみんな同じという考えもありますが、残された人がその後どんなふうに生きるのかと考えれば、またさまざまです。

 1カ月後に死んでしまっても、その後、何十年も残された人が話題にしてくれるようなケースがあります。一方で1年以上長く生きても、死んだ後にはすぐに皆の記憶から消えてしまうような人生もあります。どちらがいいかと問われれば、むしろ前者のほうがいいと考えることもできるのです。

 少し私自身のことを書きます。私は、すでに54年以上生きてきました。仮に今、進行がんの診断が下って、余命が平均6カ月というような状況になったと想像してみましょう。そのとき、“これだけはやるゾ”ということがあるとすれば、それは、残された人生をこれから何をやるかというより、これまでどうだったかを振り返る時間に使いたいということです。

 平均余命6カ月というような数字は自分に当てはまるかどうかわからない平均値に過ぎません。ところが、その宣告を受けたことで、これまでの人生というものまで無意味にしてしまう行動に出てしまうかもしれません。

 しかし、進行がんと診断されるまでの人生は、その後のことよりはるかに重要だと思うのです。ですから、宣告後はそれまでの人生を振り返る時間さえあれば、十分ではないでしょうか。もちろん54年も生きているので、これが40年なら、30年なら、というとまったく違ってくるに違いありませんが……。

名郷直樹

名郷直樹

「武蔵国分寺公園クリニック」名誉院長、自治医大卒。東大薬学部非常勤講師、臨床研究適正評価教育機構理事。著書に「健康第一は間違っている」(筑摩選書)、「いずれくる死にそなえない」(生活の医療社)ほか多数。