末期がんからの生還者たち

中咽頭がん<4>「母親に笑顔が戻ったことがうれしかった」

三枝幹弥さん
三枝幹弥さん(提供写真)

 2011年6月、三枝幹弥さん(48歳=山梨県中巨摩郡在)は、「がん研有明病院」の担当医から、「活動性のがん細胞はありませんでした。良かったですね!」と告げられた。体がファッと宙に浮くような爽快さを感じた。

 10年10月に「中咽頭がん・ステージ4」と末期がんを告知されたときは地獄だった。主治医からは「がん研の門をくぐった以上、治療に手加減はいたしません」と言われ、3カ月間に及ぶ「化学療法併用放射線治療」を受けた。

 その影響で後頭部の毛はすっかり抜け落ちてしまった。

 さらに2カ月の間をおいて、今度は「転移していた首の部位にあるリンパ節の手術」を行った。

 半年間、自宅がある山梨と東京を往復しながら入退院を繰り返し、苦しかったがんの治療からようやく解放されたのだ。

 三枝さんは、3カ月間の自宅静養を終えて仕事に復帰する。最初、午前中に2~3時間、日によって気分がいいと、午後2時ごろまで会社のデスクに座った。

 創業50年という宝飾業の副社長(現・社長)である。山梨、富山に工場などを持ち、東京・上野で販売業も手広く営む。社員は200人いる。

■東京マラソン3年目で初完走

 三枝さんは、「私ががんを告知されたとき、会社の朝礼で社員にがんであることを話しました。問題は、入院治療中に留守にする4000件からの取引相手と、金融機関の反応です。幸い『役員を連れて説明に伺います』と、皆さんが温かく励ましてくれた。感激しました」と語る。

 社会復帰後、まず体力を回復しながら、体重15キロ減(がん告知当時は74キロ)を元に戻そうと、1日に2~3キロ歩き続けた。

 病院で精密検査を受け、「がん再発の兆候がありません」との診断結果に自信を持ち、2012年2月には「東京マラソン」に参加した。翌年、翌々年とその後も参加。14年には42・195キロのコースを6時間35分で完走する。

「社員たちも喜んでくれまして、なによりもがんを告知されて以来、沈みがちだった母親に、ようやく笑顔が戻ったことがうれしかったですね」

 10年に末期がんを告知されて7年。生きる目標年にした「5年生存」を通り越し、今年で1年が経過した。

 担当医から「もう声が出ないかもしれません」と予告され、折れそうになった心を立て直して難度ながん治療と闘ってきた三枝さんは、あらためてこう語る。

「末期を告知されても、絶対に諦めてはいけません。そして目標を持つことです」

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