末期がんからの生還者たち

前立腺がん・大腸がん<2>退院間際に主治医に呼ばれ「しまった!」

吉田博行さん
吉田博行さん(C)日刊ゲンダイ

 2011年11月、独立行政法人国立病院機構「東京医療センター」(東京・目黒区)で、「前立腺がん」の告知を受けた吉田博行さん(世田谷区在住)は、3カ月間に及ぶ「ホルモン療法」を受けた。

 すでに左側のリンパ節にもがんが転移しており、治療の選択肢はこれしかなかった。

「しかし、私には治療効果がてきめんだったのでしょうか。『PSA』が下がり始めたのです」

 前立腺がんの腫瘍マーカーといわれる「PSA」(前立腺特異抗原)が、がんの告知当初、268.2(成人の正常値は4gn/ミリリットル)もあったが、治療3カ月後には8.1まで低下した。2017年現在は0.02である。

 がん保険にも入っていたことから、3カ月間の入院費用は個人負担で総額約66万円だったという。 元銀行員の吉田さんは、退職後に勤めていた人材派遣会社に復帰。「再び仕事に汗を流す」と、足取りも軽く通勤を開始した2014年12月、再び体調に異変を感じるようになる。突然、食欲がなくなった。3食とも食べることができない。同時に下痢、便秘が交互に繰り返され、血便も出るようになった。

■前立腺はホルモン療法が効いたが…

 年が明けて2015年1月になると、吐き気が加わり、血便も続き、不愉快な残便感がある。

 自宅から近いクリニックを訪ね、症状を説明すると、再び「東京医療センター」を紹介された。

 3月、1週間検査入院し、MRIや内視鏡の検診では「直腸の腫れ」が認められ、診察画像を見せられると、内視鏡が入らないほど直腸が腫れていたのである。

 退院前日、担当医師から、「奥さまを呼んで下さい」と言われた。吉田さんはピンときたという。

「あっ、大腸がんだなと思いました。私は毎年、大腸がんの検診を続けていたのです。ただし、なぜかこの7年間は休んでおりまして、しまった! と思いました」

 吉田さんの「大腸がん(直腸)」は「ステージ3a」で、担当医師から「症状は想像以上に重いですよ。難しい手術になります」と、深刻な口調で説明された。心臓がバクバクするほどのショックを受けて退院した。「前立腺がん」に続いて、2度目のがん告知である。

「自宅の家族会議で、女房は“この人終わりなのかしら”と言うし、2人の息子(35歳、32歳)に説明すると“あ、そう”という生返事です。でも、手術を受けることは、まだ私にも生きる望みが残されていると言いきかせましたね」

 4月22日、吉田さんは妻を伴い「東京医療センター」の門をくぐった。

関連記事