天皇の執刀医「心臓病はここまで治せる」

僧帽弁閉鎖不全症の弁形成はダヴィンチ向きといえる

天野篤氏
天野篤氏(C)日刊ゲンダイ

 今年1月、内視鏡手術支援ロボット「ダヴィンチ」を使う手術の保険適用対象が一挙に拡大されることが承認されました。これまで、保険適用のダヴィンチ手術は前立腺がん、腎臓がんの摘出手術の2件だけでしたが、4月からは新たに12件の手術が追加されることになったのです。

 12件のうちほとんどはがんに対する手術で、心臓外科の領域では「僧帽弁閉鎖不全症に対する胸腔鏡下弁形成術」が保険適用の対象になりました。心臓の中にある僧帽弁がきちんと閉じなくなって血液の逆流が生じている状態が僧帽弁閉鎖不全症で、悪くなってしまった患者さん自身の僧帽弁を修理するのが弁形成術です。その手術にダヴィンチを用いるのです。

 ダヴィンチは、内視鏡などの手術道具を扱う3本のアームと操作ボックスからなる装置で、日本では約200台が導入されています。患者さんのお腹や胸などに小さな穴を数カ所開けて内視鏡カメラとアームを挿入し、執刀医は操作ボックスのモニター画面を見ながら遠隔操作で手術を行います。大きく開胸する一般的な手術に比べると小さな穴を開けるだけなので、出血が少なく術後の回復も早い低侵襲な手術だとされています。

 弁形成術は心臓手術の中でも技術的に難しいもののひとつで、外科医の経験によって大きな差が出てくる手術だといえます。そんな術式がダヴィンチ手術の対象として保険適用されたのは、いくつか理由が考えられます。

■手技そのものに専念できる術式

 そもそも、ダヴィンチを使わないで一般的な腹腔鏡や胸腔鏡を用いて開腹せずに行う鏡視下手術は、「縫合」と「結紮」を苦手としています。視野が狭く限られた空間の中で精密に縫い合わせたり、血管などを糸できちんと結んだり縛ったりするのは非常に難しいのです。たとえば弁形成術の場合であれば、最低でも100回くらいの結紮と、10カ所は縫合が必要になります。これは、単なる鏡視下手術だとかなりハードルが高い作業です。しかし、ダヴィンチは細かい作業の動きを支援してくれるため、縫合と結紮を簡単に行うことができます。

 また、内視鏡カメラの進歩によって3次元画像で術野を確保することが可能になり、実際に肉眼で見る以上に精密に見えるようになりました。これで、難易度の高い弁形成も正確に行えるようになったのです。

 さらに、僧帽弁の弁形成術は心臓手術の中で「最も手術手技そのものに専念できる術式」だというのも大きなポイントといえるでしょう。

 一般的に心臓手術は3つの大きな柱で成り立っています。まずは基本となる「手術操作」で、ほかに「血管合併症対策」と「心筋の保護」があります。たとえば、冠動脈バイパス手術や大動脈弁置換術といった手術では、動脈硬化が絡んだ問題が出てくるケースが多く、術中に血管の状態を判断して臨機応変に対処することが重要になります。

 手術の際は「心筋保護液」を注入して心臓の動きを止め、同時に停止中の心筋の代謝を維持して心筋細胞が障害されるのを防ぎます。さらに、状況を見ながら心筋保護液を一定時間ごとに再注入して心筋を守らなければなりません。

 僧帽弁の形成術は、こうした血管合併症対策と心筋の保護に関して比較的シンプルな作業で済むことが多いといえます。僧帽弁の形成術だけを受ける患者さんは動脈硬化を合併しているケースが少ないので、その場の判断でバイパスなどの処置は必要ありません。心筋保護もほぼ一定の均一化された方法で十分な効果が発揮されます。つまり、弁形成という単純な一次作業に集中できる術式なのです。

 こうしたさまざまな要因から、僧帽弁閉鎖不全症に対する胸腔鏡下弁形成術のダヴィンチ手術が保険適用になったと考えられます。

 ただ、ダヴィンチは高額で定価が1台約3億円、鉗子などの使い捨ての機材は1回あたり50万円ほどかかるため、一般的に広く浸透するまではまだ時間がかかりそうです。ただ、保険適用されたとなれば、希望する患者さんが急増するのは確実です。当院も最上位機種のXiを購入予定で、高度な手技に対応する準備を進めています。今後、徐々に広まっていくのは間違いありませんが、手術が必要と診断された患者さんは、十分に事前情報を得てから受けられるのがよいと思います。

天野篤

天野篤

1955年、埼玉県蓮田市生まれ。日本大学医学部卒業後、亀田総合病院(千葉県鴨川市)や新東京病院(千葉県松戸市)などで数多くの手術症例を重ね、02年に現職に就任。これまでに執刀した手術は6500例を超え、98%以上の成功率を収めている。12年2月、東京大学と順天堂大の合同チームで天皇陛下の冠動脈バイパス手術を執刀した。近著に「天職」(プレジデント社)、「100年を生きる 心臓との付き合い方」(講談社ビーシー)、「若さは心臓から築く 新型コロナ時代の100年人生の迎え方」(講談社ビーシー)がある。

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