末期がんからの生還者たち

大腸がん<2>「親に心配かけないよう説明の言葉を何度も」

岩井ますみさん
岩井ますみさん(提供写真)

 岩井ますみさん(54歳=千葉県市川市在住)は、2008年11月、地元の「大野中央病院」で大腸内視鏡検査を受診した。担当医師から「生検で採取した組織を調べたら『進行性の大腸がん(下行結腸がん)』です。まだ若く体力もあるので、傷痕が少なくて済む腹腔鏡が出来る病院が良いと思います」と言われ、ネット情報などを参考にして「順天堂大学医学部付属浦安病院」に決めた。

 大腸がんの告知を聞いて、岩井さんの頭をよぎったのは、同居している両親の顔。どのように説明するか。できるだけ心配をかけないように、あらかじめ説明の仕方を何度も練習した。

「お願いだから冷静に聞いてね。私は何ともないからね。どうもがんらしく入院と手術が必要なの……」

 極力落ち着いて説明した後、じっと耐えていた涙があふれた。この時期、カラーコーディネーターとしてカルチャーセンターの講師を務めていた最中で、その仕事も中断してしまうことに心が痛む。

■手術後10カ月で新たな告知が…

 年の瀬、病院で「超音波(エコー)検査」「レントゲン検査」「呼吸機能検査」「血液検査」「胃の内視鏡検査」「大腸3D―CT検査」を受けた。クリスマスや正月もない、毎週の検査、検査である。

 年が明けて2009年1月、両親や姉夫婦、親戚など多くの家族に見守られ、約5時間に及ぶ手術で、大腸全体の3分の1を切除した。

 手術は無事成功した。しかし、「大腸に炎症が生じていました。そこでお腹に膿がたまっていて、まだくっついていない切開部を開けて、病室のベッドでお腹の膿を絞り出すのです。医師、看護師4人が私を押さえつけて、お腹の膿を出すという壮絶な処置が毎日行われました」。

 切開した部分はまだ完全にふさがれていなかったが、1カ月後に退院し、自宅に戻った。

 近所のクリニックに通院し、やはりお腹から膿を絞り、消毒するという治療が続く。

 体調はもちろんまだ回復していない。とくにお腹の調子が悪く、食後は、気を失うほどの腹痛にも襲われた。

 下痢もひどかったが、3月になって仕事に復帰する。カルチャーセンターの会場に向かうときなど、その路線の公衆トイレ、駅構内のトイレ位置情報を事前に調べてから家を出た。

 少しずつ仕事の量を増やしながら、3カ月ごとの経過観察で病院に通院していた。毎回、診察室に入るたびに、胸をドキドキさせながら、担当医の説明を聞く。

 手術から10カ月後、担当医の顔がいつもと違っていた。

「体調はどうですか? と聞きながら、私の耳の下や脇の下のリンパを触診していました」

 そしてこう告げられる。

「転移があるかもしれません。精密検査をしましょう」

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