実録 父親がボケた

<2>ぼんやりすることが増えた父から「文化」がなくなった

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写真はイメージ(C)日刊ゲンダイ

 メールを打てなくなってから1年後の2014年。父の行動がおかしくなってきた。

 母いわく「食事を出した途端にパソコンの電源をつけたり、他のことをやり始めるからムカつく」。わざと嫌がらせをしているのか、ボケてしまったのか分からない行動が増えたというのだ。一緒に暮らし、掃除、洗濯、炊事すべてを世話する人間からすれば、怒るのも当然のこと。

 そもそも父は家事を一切手伝わない人だった。そして人付き合いが下手で、友達もほぼいない。非社交的な人間の余生に趣味は必須だが、その趣味の写真もパソコンの使い方も分からなくなった。暇つぶしといえば娘たちに電話することくらいしかなかったのだろう。こちらが忙しい時に限って頻繁に電話してくるのだが、用はない。会話も続かない。姉と「いよいよボケ到来!」と話した記憶がある。

「本や新聞を読みたい」「外に出掛けたい」「おいしいものを食べたい」などの意欲は減退し、ぼんやりすることが増えた。父から「文化」がなくなったという感覚。

 実はこの時、私はエンディングノートを家族全員に配っていた。それぞれ記しておくようにと渡したが、父は書かなかった。というか、書けなかった。意味が分からなかったようだ。エンディングノートは心身とも健康なうちに渡さなければ無意味だと知る。時すでに遅し。

 そして2015年。父は頻繁に転ぶようになった。ちょっとした、本当にちょっとした傾斜でも足がもつれて転倒。しかも防御すべき手が前に出ず、顔面から地面へと落ちる。当然、顔は流血と打撲の大惨事だ。

 頭も打っているので、転ぶたびに救急車を呼んだ。毎回検査をして、脳や骨に異常はないが、顔面は悲惨だ。試合後のボクサーのような顔なので、他人から「虐待されているのではないか」と疑われるレベルである。

 眼鏡も破損を繰り返し、とうとう父自身もかけなくなった。この世界を己の目で見届けようという意欲もまた、減退してしまったようだ。

吉田潮

吉田潮

1972年生まれ、千葉県出身。ライター、イラストレーター、テレビ評論家。「産まないことは『逃げ』ですか?」など著書多数

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