天皇の執刀医「心臓病はここまで治せる」

覚醒下心臓手術は特殊な状況でなければメリットは少ない

天野篤氏
天野篤氏(C)日刊ゲンダイ

 今年2月、旭川医科大学で局所麻酔による覚醒下での心臓弁膜症の手術が行われ、無事に成功したことが報じられました。

 患者は僧帽弁閉鎖不全症の40代男性で、全身麻酔用の麻酔薬と鎮痛薬にアレルギーがあると判明したため、アレルギーのない硬膜外麻酔を使い、人工心肺をつないで僧帽弁の形成術を行う手術が選択されたのです。

 局所麻酔の場合、患者はうとうとしている状態で受け答えができるくらいの意識があります。そうした覚醒下で人工心肺を使った僧帽弁形成術は日本初の症例で、画期的といえるでしょう。

 しかし、これと同じような覚醒下での心臓手術がこれから広まるかといえば、疑問と言わざるを得ません。患者が“起きている”ということは、手術中に体の向きを変えてしまったり、反射的に動いてしまうといったリスクがあります。その分、制約が多くなるので、全身麻酔の開胸手術に比べて精密度や完成度がどうしても下がってしまいます。

 また、全身麻酔を局所麻酔にすることで患者の負担が大きく減るということもありません。局所麻酔の方が術後の回復が早いといわれていますが、人工心肺を使って心臓を一時的に止めるわけですから、負担はそれほど変わらないといえます。今回のように、アレルギーがあって全身麻酔ができないというかなり特殊な状況における選択肢のひとつにはなるかもしれません。しかし、そうそう遭遇するケースではないですし、リスクや手術の完成度を考えると、麻酔自体が致死的になる状況を除けば、わざわざ覚醒下で手術を行うメリットは少ないのです。

 そもそも、僧帽弁閉鎖不全症の手術は一般的に緊急を要する場合は多くありません。本当にいますぐ手術をしなければ死亡してしまうような緊急手術で、今回と同じような処置ができれば素晴らしいと思います。しかし、そこまでして僧帽弁閉鎖不全症の手術を慌ててする必要があるのかという意見があるのも事実です。

 覚醒下での心臓手術は、以前から「アウェイク手術」と呼ばれる方法が一部で実施されています。同じように硬膜外の局所麻酔を使い、患者の意識がある状態で冠動脈バイパス手術を行うものです。ただ、こちらも同じように手術の制約が多くなって精密度が落ちてしまうため、普及しませんでした。全身麻酔が使えない非常にレアなケースでなければ、一般的な全身麻酔を使う手術の方が完成度が高く、外科にとっても精神的な負担が少ないわけですから、従来の方法が選択されるのも当たり前といえるでしょう。

■鍼麻酔も選択肢のひとつとして考えられる

 たとえば、呼吸器不全やアレルギーを抱えていて全身麻酔ができない患者の手術を行うために麻酔をかける選択肢としては、ほかに「鍼麻酔」が考えられます。痛覚に関連している全身の経穴に鍼を刺入して痛みを感じなくなるまで麻痺させ、覚醒下で手術を行います。麻酔薬をほとんど使わなくて済むわけですから、アレルギーのある患者にとってはリスクがなくなります。

 中国では50年代から鍼麻酔による手術が行われていて、70年代には全土に広まりました。当時、鍼麻酔による手術を受けた患者は40万人に上り、成功率は90%を上回ったといいます。その後、鍼麻酔は心臓や脳の手術といった大がかりな手術にも幅広く応用されるようになり、いまも適応患者を絞ったうえで補助薬剤を併用するなどして実施されています。私も鍼麻酔による甲状腺の手術を実際に目にしたことがあります。

 日本にも優秀な鍼灸師はたくさんいますから、局所麻酔だけでなく鍼麻酔の本格的な導入を研究していけば患者の選択肢がより広がるかもしれません。

 ただ、先にも言いましたが、局所麻酔にしても鍼麻酔にしても、わざわざ覚醒下心臓手術を直ちに行わなければならない患者は非常に少ないのが現実です。あくまでも特殊なケースで行われる方法として、万が一の場合のために覚えておくという認識でいいでしょう。

天野篤

天野篤

1955年、埼玉県蓮田市生まれ。日本大学医学部卒業後、亀田総合病院(千葉県鴨川市)や新東京病院(千葉県松戸市)などで数多くの手術症例を重ね、02年に現職に就任。これまでに執刀した手術は6500例を超え、98%以上の成功率を収めている。12年2月、東京大学と順天堂大の合同チームで天皇陛下の冠動脈バイパス手術を執刀した。近著に「天職」(プレジデント社)、「100年を生きる 心臓との付き合い方」(講談社ビーシー)、「若さは心臓から築く 新型コロナ時代の100年人生の迎え方」(講談社ビーシー)がある。

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