天皇の執刀医「心臓病はここまで治せる」

左心耳切除術のための新たな治療器の開発を進めています

順天堂大学医学部付属順天堂医院の天野篤院長
順天堂大学医学部付属順天堂医院の天野篤院長(C)日刊ゲンダイ

 これまで何度か紹介しているように、心臓手術を受けた後の脳梗塞を予防するために有効なのが、術中にプラスして行う「左心耳」の手術です。左心耳とは、心臓の左心房の上部にある袋状の突起物です。心臓と同じように拡張と収縮を繰り返していて、心原性脳梗塞の原因となる血栓の75~90%が左心耳で形成されることがわかっています。

 左心耳内の血栓が脳の血管まで移動することを防ぐため、以前は左心耳を糸で縫い縮めて血液の行き来を遮断する左心耳縫縮術を行っていました。ただ、糸で縛るだけでは完全に予防するには不十分なところがあります。ほとんどの場合はそれで防げるのですが、まれに心不全の症状が残ってしまうと防ぎきれないケースも出てきてしまうのです。そこで、左心耳はなくても大きな問題はないこと、血栓の移動を防ぐにはできるだけ左心耳を切除して縫った方が確実だとわかってきたことから、近年は左心耳を切り取る左心耳切除術を実施しています。

 ただ、左心耳に対する治療は日本より欧米の方が進んでいます。カテーテルで血管の中に器具を留置して左心耳を遮断する方法や、クリップを使って左心耳を挟んで閉鎖する方法といった新しい治療が登場しているうえ、心臓手術に付随して行うのではなく、脳梗塞を予防するためだけの小切開手術も実施されているほどです。

 また、欧米には左心耳だけを研究する学会があり、今後は当院の研究メンバーを派遣して積極的に関わっていくつもりだということは前回もお伝えした通りです。

 私は8年ほど前から心臓手術と並行して左心耳への手術を行っていますが、これは欧米では脳梗塞の予防のために左心耳を処置する動きがあることをたまたま察知して、国内でいち早く取り入れたに過ぎません。心臓手術のついでに比較的容易に実施できるうえ、予防効果も明らかだったからこそ本格的に取り組んできました。

 いまは日本でも徐々に広まってきていますが、欧米との差を縮めるにはまだ時間がかかりそうです。その要因として大きいのが、欧米と日本では左心耳への治療で使える機器に違いがあることです。治療法が異なることもありますが、保険適用されている機器がまだ少ないという点も影響していると考えられます。

■従来の自動吻合器を改良

 そこで、いまわれわれは左心耳への手術に使うための治療機器の開発に取り組んでいます。現在、治療に使われている機器は外国製のものが多く、どうしても価格が高くなってしまいます。たとえば縫合に使う糸は、国産なら1本800円程度ですが、外国製のものは1本1200~1600円になります。国産プラスアルファくらいの価格帯の機器があれば、使いやすくなってもっと広まるのではないかと考え、医療機器メーカーと相談して新しい機器を開発しているのです。

 いま取り組んでいるのは「自動吻合器」です。胃や腸といった消化管の手術では、30年以上前から自動吻合器が使われています。たとえば、腸管を切り取った場合、その端と端の切り口同士を結合させる必要があります。その際、かつては針と糸を使って手縫いをしていましたが、10~20分くらいかかります。一方、腸管同士をホチキスのようなステープラーで接続する自動吻合器を使うと、5分程度で完了します。しかも、手縫いした場合とクオリティーに差はありません。

 この自動吻合器を左心耳切除術で使えるように改良を重ねているのです。左心耳切除術は複雑な手技を必要とする手術ではないので、従来から消化管の手術で使われている自動吻合器を少し改良しただけで十分に使用できます。なんとしても、左心耳を確実に切り取って縫い込めるような新しい自動吻合器を完成させたいと考えています。ただ、そうした新しい機器に対し、メーカー側は価格を高く設定しようとします。少しでも早く利益を出し、開発費を回収したいと考えるのは当然でしょう。

 一方、限られた医療資源の中で、実際に治療を行っているわれわれからすれば、より多くの患者に新しい機器で治療を受けてもらうためには、初めから価格を安くした方がいいのは明らかです。その点では、使う側の現場と、作る側のメーカーに温度差があるのも事実です。

 そうした“誤差”もしっかりクリアして、より多くの患者が左心耳切除術の恩恵を受けられるよう、今後も開発を進めていきます。

天野篤

天野篤

1955年、埼玉県蓮田市生まれ。日本大学医学部卒業後、亀田総合病院(千葉県鴨川市)や新東京病院(千葉県松戸市)などで数多くの手術症例を重ね、02年に現職に就任。これまでに執刀した手術は6500例を超え、98%以上の成功率を収めている。12年2月、東京大学と順天堂大の合同チームで天皇陛下の冠動脈バイパス手術を執刀した。近著に「天職」(プレジデント社)、「100年を生きる 心臓との付き合い方」(講談社ビーシー)、「若さは心臓から築く 新型コロナ時代の100年人生の迎え方」(講談社ビーシー)がある。

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