独白 愉快な“病人”たち

手術11時間から生還 海援隊・中牟田俊男さん食道がん語る

ミュージシャン「海援隊」の中牟田俊男さん
ミュージシャン「海援隊」の中牟田俊男さん(C)日刊ゲンダイ

「あ、がんです」

 あっさり医師に言われて、「ああ、すぐ言うんだ」と拍子抜けしました。軽かったからなんでしょうけど、できればもう少しためてほしかった(笑い)。でもよかったですよ。「ご家族の方を……」なんて言われなくて。

「食道がん」が見つかったのは、2015年の11月でした。定期健診でいつものクリニックへ行き、異常なしのお墨付きをもらったものの、なんとなく胸の辺りがスッキリしない。そう訴えると、「もう少し調べるなら胃カメラしますか?」と言われたのでやってもらったんです。そうしたら、モニターの映像を見ながら、「ん? 変なのがある。これ調べたほうがいいな」と細胞を採って病理検査となりました。

 1週間後に結果を聞きに行ったら、あっさりがん告知です。

 心境として手術は避けたい。でも、精密検査をするとギリギリ開腹手術をやったほうがいい段階とのことでした。「可能性として内視鏡でも大丈夫ですか?」と聞くと、「可能性はあります」というのでそっちに懸けようと思いました。何しろ仕事で迷惑をかけることは最小限にしたくて、病気うんぬんより、そっちが頭を占めていました。

 紹介された病院が自宅から遠かったので、福岡で開業医をしている友達に電話で事情を説明して、「うちの近くで、いい病院を探してくれ」と伝えると、2~3時間で「東京ならここがいい」と執刀医まで探して連絡をくれたんです。すぐその病院へ電話して検査をしたら、「どうしても開腹手術になりそうだ」と言われてしまいました。

「がんのステージはⅠ」と言われたのは手術直前でした。でも、食道がんは転移しやすい部位らしく、軽くても重くても手術はほとんど同じみたいです。がんがあるのは食道の一部にほんのちょっとなのに、全摘でした。胃に近い食道だったので胃の一部も取り、リンパ節もごっそりです。

 当初は、食道の代用として小腸の一部を取ってツギハギする計画だったのですが、結局、胃をグーッと引っ張り上げて喉の方とつなぐ、昔ながらの手術になりました。小腸をつなげてはみたものの、腸の血の流れが悪くて「これじゃダメだ」ってなったようです。「つなぎました↓ダメでした↓また取りました」となったものですから、8時間だった手術予定が11時間になっていました。ボクは眠っているだけでしたけど……。

 目覚めたら家族がいて、「生きてた~」って思いました。でも、ああいうときは、夢の中のような心地というのか、考えていることが勝手にバンバン変わっちゃうような……。うまく言えないんですけど、意識が次々めくれる感じ。どうせなら、もう一歩踏み込んで“きれいなお花畑”でも見てみたかったんですけど、それは見られませんでした(笑い)。

 意識がちゃんとすると、痛みが定期的にやってきました。そんなときは自分で痛み止めのボタンを押すんです。ボタンを押すと薬が点滴に入るんですね。ただ、たくさんの管につながれて身動きできなかったのは2日間だけ。集中治療室から一般病棟に移ると、打って変わって「どんどん歩いて」と運動を勧められ、「何でも自分でしてください」と容赦ない。「まいったな」と思いました(笑い)。

■術後は体重が激減して風で倒れそうに…

 検査から手術を経て、退院したのは2週間後。その後に抗がん剤治療をしました。4日間投与して40日休むのを2回。それが最低限のようです。髪の毛は中途半端に抜けましたが、大きな負担はありませんでした。ただ、いまだに食べられないんです。食欲はあるのに、食べたものが腹に落ちていかない感じで、水を飲んで流し込もうとするんですけど、すぐに苦しくなってしまって……。

 医者には「ビールが一番入りませんよ」と言われたんです。だから「打ち上げのビールのうまさがもう味わえないのか」と思っていたんですけど、それはね、実際飲んだらうまかった(笑い)。本当にうれしかったです。

 1回の食事量は以前の3分の1。その分、1日5回にしています。それでも太れません。体重は52~53キロあったのに、術後は10キロ以上減って、今も47キロから全然増えない。太るのがこんなに難しいとは思いませんでした。体重が戻らないと体力も戻らないし、いろんなことが嫌になります。ひどいときは風で倒れそうになって、ビックリしました。そばにいたお婆さんに「大丈夫ですか?」って言われちゃって(笑い)。

 病気後は、いろんなことがありがたく、すべての現象がいとおしく感じました。まぁ3年も経つと薄らぎますけど、あの瞬間を感じられたのは良かった。いつでもその状態に切り替えられるなって思いますから。

 (聞き手=松永詠美子)

▽なかむた・としお 1949年、福岡県生まれ。72年に武田鉄矢、千葉和臣と共に海援隊としてデビューし、「母に捧げるバラード」など大ヒットを連発した。82年に解散後、ソロ活動を経て94年に再結成。現在、アコースティックギター中心の「海援隊トーク&ライブ」で全国各地を回っている。3月10日(日)には白河文化交流館「コミネス」で開催される。

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