9月20日付の朝日新聞朝刊の第1面を見て時代を強く感じた。注目したのは記事ではない。広告である。下3段のスペースのすべてが認知症に関する書籍の広告だったのである。新聞社が広告企画として「認知症特集」を組んだ結果かもしれないが、認知症に関する書籍が数多く出版され、それを購入する読者が多いという背景があってのことなのだろう。
ひと昔前には、これほどまでに「認知症」という言葉が各種のメディアに取り上げられることはなかった。ましてや、私が日本で初めての高齢者専門の総合病院である東京・杉並区の浴風会病院で精神科医として勤め始めた約30年前には、認知症という言葉さえなかった。侮辱的なニュアンスを含んだ「痴呆症」という言葉が一般的だった。その意味では、メディアを通じて認知症に対する社会の関心が高まったことは一歩前進と言ってもいいだろう。認知症の正しい理解の浸透にもつながった。
だが、世の中に氾濫する認知症に関する情報には思わず首をかしげたくなるものがあることも事実だ。「認知症の進行を抑える」などのうたい文句で盛んに脳トレ、数独、パズルあるいは体操などを「認知症の特効薬」のように喧伝する医者がいる。その中には高齢者医療の臨床経験がきわめて乏しい医者が少なからずいる。何よりも問題なのは、そうしたプログラムを有料のセミナーなどでビジネス展開していることだ。エクササイズによって、トレーニングした項目のスキルは向上するが、認知症そのものの進行を遅らせるというエビデンス(科学的根拠)はない。
長年、老年精神医学の臨床現場で生きてきた立場から力説したいのは、認知症の高齢者にとって「機嫌よく、楽しく生きる」が最も大切だということ。ストレスを感じながら脳のエクササイズやトレーニングに励むのではなく、気分よくレクリエーションとして脳や体を動かすこと。それが認知症の進行を抑えるために有効なのだ。「今回は解答率が低かった」「今日は4000歩しか歩かなかった」などとノルマのストレスを感じてエクササイズに励むよりは、「今日の『世界!ニッポン行きたい人応援団』は面白かった」「公園のコスモスがきれいに咲いていた」など、脳を心地よくする機会を増やしたほうがいいのだ。
このコラムで以前も紹介した知人の母親について、新しいエピソードがある。
現在92歳で一人暮らし。介護ヘルパーの訪問はあるものの、認知症の症状はない。先日の日曜日、近所に住む知人が母親の家を訪れたところ、開口一番こう尋ねてきたそうだ。「ノックオンていうのは、どんな反則?」。若いころからスポーツ観戦が大好きだった彼女は、ワールドカップ日本開催を機に92歳にしてラグビーにハマってしまったのだ。
新聞は隅々まで読み、好きな時代小説を読み、スポーツ観戦は相撲、野球、テニス、ゴルフと何でもござれの日々に、新たにラグビー観戦が加わったわけだ。わかりにくいラグビーのルールに挑戦となれば、脳が怠けるヒマもないだろう。こうしたレクリエーションを通じての脳の活動こそが、認知症の進行を抑えたり、遠ざけたりする。「レクリエーション」には、「気晴らし」のほか「再創造」とか「壊れたものがつくり直される」といった意味もある。
後悔しない認知症