上皇の執刀医「心臓病はここまで治せる」

iPS細胞による再生医療が広まるには議論を深める必要がある

順天堂大学医学部心臓血管外科の天野篤教授
順天堂大学医学部心臓血管外科の天野篤教授(C)日刊ゲンダイ

 重症心不全に対する治療の臨床試験がスタートするiPS細胞について、前回お話ししました。iPS細胞から分化させた心筋細胞をシート状に加工して、重症心不全の患者さんの心臓に貼り付ける治療です。

 重症心不全の患者さんにとって救いになる治療として期待されているのはもちろんですが、いくつか課題があるのも事実です。前回も触れた「腫瘍化」のほかに、iPS細胞が心臓の一部の細胞に分化したとしても、その細胞が原因になって不整脈を起こしたり、ほかの部分に悪影響を与えて全体的な心臓の機能を落としてしまうリスクも考えられます。ただ、そうした問題をひとつずつ検証し、最終段階の動物実験ではこれらのリスクは報告されていません。腫瘍化が起こらないように安全性を確かめたうえでiPS細胞シートを作る技術も進化しています。

 不整脈についても起こる可能性はゼロではありませんが、重症心不全の患者さんは何もしていなくても不整脈を起こすリスクがあります。ですから、仮に不整脈が表れたとしてもそれが本当にiPS細胞シートによるものかは慎重に検討しなければなりません。もちろん、今回の臨床試験は「これまでの動物実験の結果を踏まえ、現段階では不整脈のリスクはほとんどないだろう」という判断の下で実施されるものなので、安全性は高いといえます。そうした確認も含め、注目されているのです。

■たくさん供給できれば費用が抑えられる可能性も

 また、iPS細胞による再生医療は費用面での課題もあります。iPS細胞を培養してシートを作るにはそれなりの費用がかかるのです。すでに行われている骨格筋芽細胞シートを使った再生医療は約1800万円プラス手術料などの医療費がかかります。iPS細胞も数千万円単位になるのではないかとみられていますが、予想以上に抑えられる可能性もあります。

 骨格筋芽細胞シートは患者さん自身の筋肉の細胞が使われます。大腿部などから採取した筋肉のもとになる細胞を取り出して培養するのですが、培養は二重三重の清潔管理をされた特別な培養室で行い、さらに培養の各過程でそれぞれウイルスやカビなどの有害な細菌が入っていないか、遺伝子変異を起こしていないかをすべてチェックしなければなりません。設備と手間がかかる分、費用も高くなってしまうのです。

 一方、いま計画されているiPS細胞治療は患者さん自身の細胞ではなく、事前にほかの健康な人から採取して培養したうえで、ストックしてあるものを使います。最初から一定の品質が担保されているので、いわば薬に近い状態といえます。iPS細胞バンクなどの施設が整備され、たくさん供給できる体制が整えば、費用は抑えられていくでしょう。

 費用の問題は、治療の対象となる患者さんが絞られてしまう可能性につながってきます。かつて米国では、心臓移植は最重症の心筋症の患者さんが対象でした。しかし、全身状態が非常に悪い患者さんは術後の生着率やQOLが低いため、費用対効果が考慮されてターゲットが変更されました。もう少し条件の良い、これからどんどん悪くなっていく段階の人、悪くなりきる手前にいる人を対象にするようになったのです。

 今回、大阪大で実施されるiPS細胞による治療は、最悪な状態の少し手前の患者さんがターゲットになっています。しかし、結果によっては、有効性と費用のバランスが考慮され、さらに手前、たとえば「いまは薬で管理できているが、いずれ悪化していく可能性が高い」段階の患者さんが対象になる可能性もあるのです。

 そうなると、最重症の段階にいる患者さんが置き去りになってしまう懸念が出てきます。“治しがいのある人”が選別されかねないのです。今回の臨床試験では、有効性、安全性、費用も含めたさまざまな課題についてしっかり検討し、議論をより深めていく必要があります。

 これからすべてが問題なく順調に進めば、iPS細胞を使った重症心不全に対する治療は、3年くらいで保険診療として承認される可能性があります。心臓でゴーサインが出れば、ほかの臓器が次々と対象になっていくでしょう。iPS細胞による再生医療は、遠い未来のお話ではない段階まで到達しているのです。

天野篤

天野篤

1955年、埼玉県蓮田市生まれ。日本大学医学部卒業後、亀田総合病院(千葉県鴨川市)や新東京病院(千葉県松戸市)などで数多くの手術症例を重ね、02年に現職に就任。これまでに執刀した手術は6500例を超え、98%以上の成功率を収めている。12年2月、東京大学と順天堂大の合同チームで天皇陛下の冠動脈バイパス手術を執刀した。近著に「天職」(プレジデント社)、「100年を生きる 心臓との付き合い方」(講談社ビーシー)、「若さは心臓から築く 新型コロナ時代の100年人生の迎え方」(講談社ビーシー)がある。

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